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諸名家の宝庫を渉猟する

井上書店で六ヶ月間修業 村口四郎 【諸名家の宝庫を渉猟する2】

反町 そういういきさつで、本郷の井上書店に、しばらく世話になっておられたんですね。

村口 多分、井上さんも御迷惑だったでしょう。店員としては、もう年をとっているし、古本のことは何も知らないし……。

反町 しかし井上さん(先代喜多郎氏)は当時村口さんと、とても懇意だったから、頼まれたら、断われなかったんでしょうね。

村口 井上さんも気兼ねだったらしい様子でした。しかしなかなか親切で、機会があると、本のことや業界のことを、よく教えてくれましたよ。

反町 親切な人でした。私も、先輩方の中では最も多く教えてもらいました。

村口 井上さんには六ヶ月ほど勤めてから、許しを得て店に入りました。父は間もなく、なくなりました。昭和十五年の一月、六十五歳でした。

反町 あなたのお父さんはえらいお人でしたね。実力もあり、貫禄もあり、とくに客あしらいのうまいお方だった。

村口 父の生きているうちは、本のことでわからない点があると質(たず)ねる。決して教えてくれない。店の奥の、四畳半ほどの別室にある参考書棚を指して、あれで調べろ、という。

反町 お父さんから引き継がれた頃は、古典籍はどのくらいあったんですか。一年の総売上はどのくらいでしたか。もう四十年も昔のことですから、もしお差し支えなかったら聞かせてください。

村口 さあ、どのくらいかな。父は非常に気の細かい人で、金銭の出入の数字は、なんでも小さな手帖に書いて置く人でした。孫に買い与えた土産でさえ「塩センベイ 五銭」と書き留めるほどの人ですから、どこかに売上帖みたいなものがあるのだろうと思いますが、なにしろ四、五十年も前のことで、本の値がすっかり変わってしまって、参考にもなんにもならないから、どこかにしまいこんであろうか、見たこともありません。ここに持って来たこれが(水色表紙の、古い目録を出して示しながら)、大正二年、今から七十年前の十一月に出した、うちの目録で、多分これが創刊号だと思います。

反町 (手にとって見る)B六判二段組みで、二二〇ページ。当時としてはずいぶん立派な目録ですね。点数で三五五八点のせてある。

村口 昭和の十年ころは、大体一年に二回くらい、春秋に目録を出していました。一回の目録にのせる分の倍くらいの在庫があって、それに新しく買ったものをまぜながら、順ぐりに目録を作って配っていたようです。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口四郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏

※聴講者
井上・・・・・・井上書店 井上周一郎氏
八木(敏夫)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(佐吉)・・・・・・丸善株式会社 八木佐吉氏
酒井・・・・・・一誠堂書店 酒井宇吉氏
古屋(柏林社)・・・・・・柏林社書店 古屋幸太郎氏


著者

村口四郎
村口書房主

明治四十二年十一月 東京に生、半次郎氏三男。
大正十一年三月 錦華小学校卒業。
昭和二年三月 私立開成中学校卒業。
昭和三年四月 明治大学商学部中退。
昭和十五年一月 父業継承。
昭和五十九年五月歿。
東京古書籍商業組合・全国古書籍協同組合理事長、東京古典会々長、ABAJ(日本古書籍商協会)会長等を歴任。


 

※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(昭和篇)でお読みいただけます。

        

『紙魚の昔がたり』(昭和篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)