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諸名家の宝庫を渉猟する

偶然の事情で古書業界へ 村口四郎 【諸名家の宝庫を渉猟する1】

反町 今日から村口書房の村口四郎さんのお話をお伺いすることになりました。

村口さんは、昭和十年代に御先代の村口半次郎さんの後をつがれて、今日まで二代ひきつづいて、日本の第一級の古書肆であられることは御承知のとおりです。御尊父・半次郎さんは、明治末・大正から、昭和の初めにかけて、古典籍業界では、恐らく実力は日本第一のお方。いわゆる大胆細心の営業ぶりには定評があり、和田維四郎(つなしろう)翁・安田善次郎さんをはじめ、有力な顧客を擁して、数多くの善本稀書を売買された実績は、昭和九年私どもの編集で刊行(昭和五十三年再刊)しました『紙魚(しみ)の昔がたり』の上巻に、詳しく物語られてあります。

四郎さんは、お父さんの店を受けて古書の世界に入られますと、間もなく戦中・戦後の、疾風怒濤時代にぶつかられましたが、この間よく東京及び関西、とくに京都方面で大活躍をされ、国宝・重文級の名品を多く取り扱われて、昭和の古書業界史上では、逸すべからざる大きな役割を果たされました。今日は、この間の珍聞・秘話、また数々の巧名談をゆっくりと拝聴したいと存じます。

村口 ただいま御叮嚀な御紹介をいただいた村口であります。
今のお話のとおり、私は昭和十四年に父の後をひきついで古書業界へはいったのでありますが、その時、年は二十八でした。ほんとうのことを申しますと、それまで私は、父の商売をついで古本屋になろうなどとは、全然考えたことがありませんでした。当人が夢にも思わないことが、妙な行きがかりと申しますか、偶然の事情で、心ならずも、この仕事に飛びこむようなハメになったのでした。

私は兄弟姉妹が多くて、男が四人、女が二人の、六人きょうだい。上に兄が二人、下に弟が一人で、私は三番目の男の子でした。父は、自分が小学校だけで、教育らしい教育を受けなかったのが残念だったらしく、子供たちには出来る限り高等教育を受けさせたいと思っていたようで、長兄は東大を出て司法官になり、検事を勤め、次兄は昌三郎といって、旧制高校は二高で反町さんの後輩、東大卒業後は弁護士をしておりました。

私は子供の時から大のヤンチャ、手に負えぬヤンチャ坊主で、なかなか父のいうことをきかず、青年時代には家を飛び出して、自分勝手な生き方をしておりました。弟の正夫というのが、私と反対におだやかな、おとなしい子でしたから、父はこれに自分の店をつがせようと考えていたらしく、家族の者たちも、みんなその気でいたらしい。ところが運わるく、正夫は若くして胸を病んで、茅ヶ崎で療養し、一時少し快(よ)くなりましたが、また再発して病臥し、再び起てぬ身となりました。

一方父の方は、ごく健康な人でしたが、昭和十四年ころから、少し健康を害して、巣鴨の自宅で寝込むことが多く、神田今川小路、今の専修大学の近くの大通りにあった店へも、なかなか出られない。家族のものたちが心配して、いろいろ相談したんでしょう。ある日突然姉が私の所へやって来まして、こうこういうわけだ、兄たちはもう社会人として相当にやっている、父の店はお前が継げ、といいます。私は思いも寄らぬことなのでことわる。何かとその間、若干のいきさつがありましたが、ちょうどその頃私の方も、自分の志した方面の仕事が、種々の事情で、ちょっと先行きの見通しがつけにくい状態にあった。そこへ姉たちが強く勧めますので、「じゃ仕方がない。引き受けようか」ということになりました。

反町 全く初耳ですね。そんな事情があったんですか。あなたのお父さんは厳しい人でしたが、話は上手で、われわれ当時の若い者には、いろいろな面白い話を聞かせてくれましたが、御自分の家庭の話はほとんどされませんでしたね。

村口 それで姉たちが、父にその話をすると、どっこい父はなかなか承知しない。「四郎は、すぐ店へは入れない。どこか同業の店で、ある期間修業をして来い。他人のメシを食って来い」という。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口四郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏

※聴講者
井上・・・・・・井上書店 井上周一郎氏
八木(敏夫)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(佐吉)・・・・・・丸善株式会社 八木佐吉氏
酒井・・・・・・一誠堂書店 酒井宇吉氏
古屋(柏林社)・・・・・・柏林社書店 古屋幸太郎氏


著者

村口四郎
村口書房主

明治四十二年十一月 東京に生、半次郎氏三男。
大正十一年三月 錦華小学校卒業。
昭和二年三月 私立開成中学校卒業。
昭和三年四月 明治大学商学部中退。
昭和十五年一月 父業継承。
昭和五十九年五月歿。
東京古書籍商業組合・全国古書籍協同組合理事長、東京古典会々長、ABAJ(日本古書籍商協会)会長等を歴任。


 

※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(昭和篇)でお読みいただけます。

        

『紙魚の昔がたり』(昭和篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)