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出版部

鎌倉仏教史の空白を埋める事典(永井 晋)

これまでの鎌倉仏教研究

鎌倉の仏教に関する事典といえば、貫達人・川副武胤著『鎌倉廃寺事典』(有隣堂 昭和55年)が今でも使いやすいだろう。ただ、この事典は「宗旨未詳」の寺院が多く、宗派を整理できていないものが多い。鎌倉仏教史が、鎌倉新仏教論の影響から抜け出せない時期を長く過ごしたことが影響しているといえる。

三浦勝男氏が雑誌『鎌倉』に連載した「鎌倉の地名考」(昭和58年~平成15年)は詳細かつ便利であるが、残念ながら未完に終わって全ての地域を網羅していない。結局、鎌倉仏教史は、櫛田良洪著『真言密教成立過程の研究』(山喜房佛書林 昭和39年)で提示された枠組みを超えられないまま、長く時間を過ごしたといえる。個別の研究は深化しても、総論が進展しなかったというと手厳しすぎるだろうか。

ようやく流れが変わったのが、平雅行氏の顕密仏教研究が鎌倉幕府に出仕する顕密仏教僧を視野に収めた平成10年代になってからである。鎌倉に下向した顕密仏教僧は、京都の公家政権と鎌倉の武家政権を護持するために、両方と上手に付き合ってきたことが見えてきた。筆者も金沢北条氏が園城寺・仁和寺を中心に顕密仏教の学侶を輩出していることから、自著『金沢北条氏の研究』(八木書店 平成18年)で一章を金沢氏と顕密仏教の関係にあてている。

鎌倉で活動した顕密仏教僧の全貌を示す

この度刊行した『鎌倉僧歴事典』は、鎌倉で活動した顕密仏教僧の全貌を示すことを目的としている。鎌倉と関わると判断した官僧は可能な限り採録したので、叙述の範囲は京都・鎌倉・南都に広がっている。

鎌倉は、中世仏教の拠点のひとつであり、閉じた世界ではない。『吾妻鏡』に登場してくる僧侶は、京都・奈良の寺院史料にも名前を残す人が多いし、京都側の史料には鎌倉の先例が多く書き残されている。顕密仏教の側から見れば、鎌倉は有力な祈祷の依頼者のひとりなのである。彼らは鎌倉を活動範囲に取り込んだのであって、将軍家に対して行う祈祷も天皇や公家に対して行うものとなんら代わりはない。違うのは、天皇や公家に行う様式と鎌倉の武家に対する様式との間に差をつけ、鎌倉で行うものを「武家鎮護」(真言)・「関東先例」(山門)と呼んで区別したことである。武家を低く見ていることは否めない。

 

『鎌倉僧歴事典』の特長

前置きはここまでにして、『鎌倉僧歴事典』の特長を述べていくことにしよう。

ず、総説(クリックすると立ち読みできます。以下同)鎌倉顕密仏教史の概論になっているので、できれば最初にお読みいただきたい。鎌倉に顕密仏教が進出した当初の状況、鎌倉顕密仏教の主流派が形成されていく状況、その頂点をつくった源恵(山門)・隆弁(寺門)・頼助(真言)の活躍した時代、鎌倉時代最末期に鎌倉を護持するために祈祷を尽くした様子を記している。

 

血脈・系図もまた注目である。鶴岡八幡宮を中心に見れば、天台寺門流の円意・隆弁の勢力が最大勢力に見える。しかし、もうひとつの拠点である将軍御所を見れば世俗の縁である摂家将軍九条家の人脈が大きな勢力であり、かつ九条兼実の弟天台座主慈円の天台密教三昧流が大きな勢力であったことがわかる。密教の祈祷を行う時の中心が、将軍御所と鶴岡八幡宮であることは、寺院史として鎌倉仏教を見てしまうと欠落してしまう視点である。

 

今ひとつの注目点は、本事典のメインとなる一人ひとりの僧侶の経歴である。鶴岡供僧など鎌倉住の僧侶は鎌倉でその生涯を完結させているが、その人々でも顕密仏教の学侶の枠組みの中に居るためには、京都の高僧の推挙によって僧官僧位を得る必要がある。また、京都と鎌倉の両方で活動している僧侶が実に多い。再度述べるが、鎌倉は鎌倉で完結する世界ではなく、京都・鎌倉・奈良を拠点とした顕密仏教僧の活動する場のひとつであることを忘れてはならない。

本書は、このような視座で事典を編纂した。顕密仏教からみた鎌倉の僧侶の事典として、また鎌倉時代の鎌倉を知るための工具書として活用していただければ幸甚である。



永井晋(ながいすすむ)

1959年、群馬県に生まれる。1986年、國學院大學大学院博士課程後期中退。2008年、國學院大學博士(歴史学)。神奈川県立金沢文庫主任学芸員,神奈川県立歴史博物館企画普及課長を経て、現在関東学院大学客員教授。

〔主な著作〕

『鎌倉僧歴事典』(八木書店、2020年)
『金沢北条氏編年資料集』(八木書店、2013年、角田朋彦・野村朋弘と共編)
『金沢北条氏の研究』(八木書店、2006年)
『官史補任』(続群書類従完成会、1998年)
『鎌倉幕府の転換点―『吾妻鏡』を読み直す―』(日本放送出版協会、2000年、吉川弘文館より復刊、2019年)
『金沢貞顕』(吉川弘文館、2003年)
『源頼政と木曽義仲―勝者になれなかった源氏―』(中央公論新社、2015 年)
『平氏が語る源平争乱』(吉川弘文館、2019年)