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村口書房

岩瀬文庫の設立者、岩瀬弥助氏【洒竹文庫及び和田維四郎氏14】

井上 先刻のお話の中に出た岩瀬さんが浅倉屋へお出での時分は、大概大晦日の夜来るのでした、現金をたくさん持って懐中を膨ませてやって来るのです。そうしてズーッと品物を見て自分で欲しいものだけを別に積んで、これだけでいくらだ、と言う、二千円と言えば千円と値切る、大抵半分位に値切る。値切り方が荒っぽいです。ですから浅倉屋も心得ていて、岩瀬さんには一流のものは出して見せない。二番手、三番手のものでなければ見せない。一度も風に当てないようなものは見せません。ところで現金を懐中からザクザク見せびらかしては値切る、大晦日の事ですし、浅倉屋も一銭だって金の欲しい時分ですから、結局まけてしまうという事になりました。

村口 あの値切り屋の岩瀬さんで、私の家内が素晴らしい儲けをした事がある。その時ばかりは私は家内を褒ました。

なんでも「武道播磨石」という本の改装本があって、六円五十銭の札がついていた。私の留守に岩瀬さんが来てその値をきくと、家内が六十五円と間違えた。で、六十五円ですと言った。すると岩瀬さん、例の如く三十五円にまけろと言う、家内がまた札を見直すと六円五十銭だ。そこで家内も図々しくおまけ申して置きますってんで、六円五十銭のものを三十五円に売ったんですが……(笑声)……実に愉快な話です。

これと反対に、下の方に間違えた話がある、確か市島春城さんに願った本だったと覚えておりますが、七十五円のやつを七円五十銭で売っちまった。あとで気が付いて早速お詫びかたがた御返却をお願いしました。ところがお返事が面白いではありませんか、竹葉を奢るなら返してやるとおっしゃって、とうとう竹葉を奢らされましたが。

井上 岩瀬さんとい方は風態なぞは少しもかまわぬお方でして、どこの爺かと思われるような風態で、品川あたりに定まった宿屋があったようですが、朝から他人の家へやって来て、今着いたばかりだから一杯つけんか、というような調子でした。

反町 自分の方から言い出すのですね。

村口 何というか叺煙草入れというか、あいつを一寸腰に吊ってね、寒い時などは特に自分から、おーい一杯つけんか、と、この調子でした。

井上 岩瀬さんについてはいろいろ逸話があります、総ておやりになる事が先々の事を考えておやりになる。例えば庭に何か植えてもただのものは植えない。実の成るものとか何とか、総てがそういった調子なんです。しかしまた、西尾病院というものを作って今は博士になっておられますが、その方に岩瀬さんが学資を出してドイツに洋行させたものだと聞いております。その土地に通俗図書館を設立せられたのも岩瀬さんです。その後この図書館は財団法人に改められ、五十万円の立派な図書館になりました。

西塚 岩瀬文庫の岩瀬さんですが、なかなか有名なんですね。ずいぶん評判もよいもののように聞いております。

井上 うちの金子(59)がこの間一週間ばかり、文庫の本草ものを写しに行っておりました。

西塚 主に買い集められたのは、明治四十年内外の頃でしょうか。

井上 私の家にお出でになられたのは、もう最終でした。概して堅い物が主体となって、やわらかい傾城もの、軟派物なんていうようなものは絶対に買われなかった。学問上、為になるようなものでなければ買わないのです。地誌類のようなものとか、本草とか、古記録とかいうようなものが主でございます。(村口氏に向って)それから稲田さんのお話を少し……。

村口 山城屋(60)といってね、大変豪い人でした。

井上 当時、元の磯部屋さんとその稲田さんが、東京の本屋の元締でした。只今では古本屋としての鑑札を願い出ると、警察で一週間位、長くとも二、三週間で許可になりますが、その当時はどういうものかこの二人が東京の本屋の元締でして、これに願わなければ鑑札が下りない事になっていました。山手は磯部屋、下町は山城屋稲田政吉がやっておりました。稲田が失脚してから倅がやっておりましたが、間もなく廃めました。

村口 私が子供の時分に、今の日本橋の藤本ビルブローカー銀行のあたりに、山城屋佐助という東京有数の本屋があったんですが、これの分家です。

この稲田の家へ、当時の朝野新聞の成島柳北という人が、ちょいちょい本を買いに来る。で、この人とだんだんつきあっているうちに感化されまして、とうとう第一回の衆議院議員に出ました、府会議長か何かもやりました。そのうちに、あの雨宮の鉄管事件(61)のために失脚しました。その結果、本屋の方も駄目になりました、その後浅蜊海岸の方に家を持ちまして、そこにうんと本が置いてあったのです。それからまた築島の方へ越しました。

ところが築島で津波に遭って光悦本の「源氏物語」を水浸しにしてしまった。そうすると驚いてこれをすっかり天日に乾しまして、浅倉屋を呼んで売ったんです。そうするとその本を陳列会で細川が買いまして、これを和田維四郎さんの所へ送りつけました。これを私が見て、これはおよしなさいまし、これは濁水本ですから二年も経つとどろどろに溶けてしまいます、と言った。ではよそう、と返されましたが、細川はこれを京大に売り込んだ。少し経つと案の定、造作が崩れかかって来たので、驚いて新村さんが裏打ちをさせましたから、とても分厚な本になってしまった。で、この稲田という人が私に、遊びに来い、遊びに来いと言う。遊びに来いじゃない、やっぱり懐中が寂しいから、本を売りたいのです。よく磯部なんかと出掛けましたが、とても高くて買えない、十円と言えば三十円といった調子で、とても買えない。しかも目が利いている事商売人以上と来ているから、かないませんや。

井上 珍書会で大野(洒竹)さんと張り合っていたのですから物凄いものです。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏


(59) うちの金子 井上書店の店員。後に独立して開店。居水と号して、雑誌「著書及び蔵書」を刊行し、一時かなり顔の売れた人。
(60) 山城屋 稲田政吉。第四話注(86)参照。
(61) 雨宮の鉄管事件 甲州出身の実業家雨宮敬次郎を中心にした、東京市関係の汚職事件


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)