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洒竹文庫及び和田維四郎氏

聞く度毎に売価の変わる若林君【洒竹文庫及び和田維四郎氏13】

村口 それはまああの通り若林という人は、朝から酒を飲んでいる人で、品物を買いに行って値段を訊いても一遍でそいつを買っちゃいけないといわれていた人です。ともかく一度値段を訊いて、それはそのままにして置いて、また何か他の物を見る。そうして少し経ってから前のやつを、おいくらでしたっけねと、とぼけて訊く。するとキット値段が変わっている。同じ品が三十分も経たないうちに、上がったり下がったりする……(笑声)……こんな風の人ですから、買物が非常に難しいのです。あそこで三、四千円の品物を買うのに、朝出て行って夜の十時頃までかかる事がある。ほんとうに、うそのようなほんとの話なんです。

窪川 もう商売はやっておられませんか。

村口 ええもう廃めました。

この人について私がまだ二十四、五の時分ですが、この店へ行っていろいろ安いものを買いましたが、その中に宋版の「容斎五筆」がありまして良い本でした。磯部も一緒だったんですが、磯部がこれを見て、すっかり気に入って値段を訊きました。二百五十円と言う。二人で相談しましたが買い切れない、それからやめて他の物を買って帰った。また半歳ばかりして行きましたが、どうも思いが残るから、例のデンでまた値段を聞いて見た、すると今度は三百五十円と言う、このような具合で一品で百円も上がっているんですね……(笑声)で、また買わずに帰って来た、翌年また行った、そうして、また訊いて見た、今度は四百五十円と言う、一年に百円ずつ上がって行く勘定で、……(笑声)

私はとうとう買いませんでしたが、それがあの店に十四、五年もありましたろうか。結局、支那の田呉祥が二千二百円で買って行きました。私達が訊く度に百円ずつ値上げされたから、買う事をやめたので、結局は先生に儲けられたものでした。

井上 それから私等が係わり合った、江戸川の古写本の方の話はどうなったのですか。

村口 あれは変なお話で、只今あったら大変でしょう。あの箱入りの古写本が--あれは元来伊豆の天城の神官が持っておった。そいつを磯部の亀吉が聞いて、こっちから出掛けて行って、蔵の中から蜘蛛の巣だらけになって持ち出して来て値段をつけましたが、どうも折り合わない。

それで先生東京へ帰って来て私の処へ来て、伊豆の天城で古写本のこういう口を見付けたからもし出ましたらよろしく、と言う、よろしいと引き受けて置いた。が、それきり音沙汰がない。それから暫く経つと、その品物が芝の神明前の某家から飛び出した。磯部がまた行ったものらしい、そうしてまた私の所へやって来てあの口が出ましたからよろしく願います、と言ったが、それもまたそれで暫く途絶えてしまった。

そのうちに江戸川から払い物があるから一寸来てくれと言う。行って見るとその家は高松の代議士で、松屋教行とかいう人の家なんです。本を見ると古写本で相当よい口なんです。で、例のソロバンをパチパチおいて、みんなで二百五十円でしょうと言った。すると書生が、二百五十円なんてそんな馬鹿な値段では売れぬ、帰れ帰れって、恐ろしく突っけんどんな書生なんです。で、私もむっとしましたから、一体いくらならよろしいのか、と言いますと、まあ四百円位だと言う。よろしい四百円でお引き取り致しましょう、と言って、それを四百円で買った。それはちょうどその松屋という人がその日の午後の一時の汽車で高松へ帰らなければならない--私の行ったのは午前十時頃でしたが--で、非常に急いでおったんで、あれこれ言っている暇がない。それで四百円で売り渡した。

で、その荷を引いて帰って来ると、ちょうど三浦周行(57)さんが京都から見えまして、良い口ですねと言う。そうして、この写本全部京都へ出さないか、一品残らず売ってやるが、と言われた。それではよろしくというので、写本類は一切京都へ送ったんです。そうして、京都の大学へ入れたり、府の図書館が取ったりして、とうとう一品残らず売れまして、八百円かいくらかの金が私の方へ来ましたが、ですから一番可哀想なのは磯部亀吉なんです。とにかく一番最初に見付けて来たんですからね、ほんとの無駄足をしたのです。

買って来てから私がその品物を、そのうちで箱入りでない束になったものを片付けていると「耕雲千首」が出て来た。ちょうどそこへ佐佐木信綱さんが見えられて、これはお幾らです、と申されましたから、二円位で結構です、と申し上げました。もっともこっちはこの品はあまり気にも留めなかったからこそ、二円位で売っちまった。その後しばらく経ってから、佐佐木さんのお家からお呼びで、行って見ると大変な御馳走なんです。で、佐佐木さんのおっしゃるには、私はこれから目録を拵える、そうすればどうしても貴方の所へ配る。配れば判ってしまう事だから、今日こうしてお招きしてお話しするわけだが、実は先日貴方から頂いた「耕雲千首」、あれは耕雲(58)の自筆で大変貴重なものだ、と言われました。よくよくこの品物を見ますと確かにそうなんです。驚きましたね。けれども、どうにもしようがありませんや。只今佐佐木さんの所の家宝の一つになっているあの「耕雲千首」も、たった二円で私が売ったのです。僅かな品だからとて、決して粗末にするものではありません。諸君も大いに研究せらるるように、御注意申し上げて置きます。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏


(57) 三浦周行 文学博士、京都帝大教授。国史の一権威者、かなりの蒐書家。
(58) 耕雲 南北朝・足利初期の歌人。名は花山院長親、法名明魏、号は耕雲。


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)