磯部屋と山本亡羊の蔵書【洒竹文庫及び和田維四郎氏12】
村口 私はそのことはよく知っておりますが、これとても大体が受売りです。それより私が直接関係はしなかったが、跡始末をつけてやった山本亡羊(50)の話ですが、この山本亡羊の物を磯部屋の亀吉が京都へ買いに行ったんです。
ところが向うでは門人が本屋の主人公と知ってかなかなか売ってくれない。売ってくれないもんですから、奴さん一策を案じて、南葵文庫(51)の代理人という触れ込みにしてしまった。そうして行ったところが、先方でも南葵文庫に入るのなら売り渡しても良いというので、結局は売り渡した。確か全部で二千二百円位でした。
で、奴さんすっかり喜んで帰って来て南葵文庫に見せた所が、南葵文庫では本草物は要りませんから買わないという。先生は親父から金を借りて買って来たんですから要らないといわれて、それはそれはとんだ事になったと非常に困ってしまった。で、岩瀬弥助(52)さんを呼んだ。そうして結局三百円位の利付けで、岩瀬さんに売ってしまった。
売ってしまうと、山本亡羊から南葵文庫に書状が着いた。が、南葵文庫では、その品物は見るには見たが買わないという、そこで亡羊の門人総代がこっちへやって来た。だもんだから磯部の親父が弱っちまった。そうして私の所へやって来て、どうも亀が飛んだ事をしてしまって困る、助けると思って、京都へ行ってこの始末をつけて貰えまいかと言う。それから私が亀を呼んで、何かお前、先方へ書いた物でも渡して来たかと言うと、南葵文庫代理磯部亀吉と書いたものを渡して来たと言う。
とにかく仕方がないから私は本屋という事にせずに、磯部の友達という事にして、兵児帯かなんか締めまして袴を穿いちまって……。(笑声)それで京都へ出掛けたんですがね、この山本という人はネツイ人でしてね、私はちょうど五日間、山本さんの所へ通いました。で、結局その書いた物を取り戻すのに五百円出して解決しましたが、磯部は結局この五百円と私の滞在費・旅費を全部持ったのですから、三百円儲けたために、とんだはき出しをやったわけで、これで奴さん大分貧乏しましたよ……。(笑声)
反町 神田孝平さんの地図というのはたくさんありましたのですか。
村口 江戸図ですか、あれはそうはありません。左様二百位でしょう。それは安田さんへ行っております。
反町 神田さんの本というのは分かれてしまったのですね。
村口 判りません、神田本の「太平記(53)」と「万葉集(54)」はいろいろな人が無闇に誉める、やれ五万円だの、三万円だのというものですから、神田さんもそれを信じておられた。で、私の所にお出でになって、どうもみんなが三万だの五万だのというが、そんなにするかね、と言われるので、私の鑑た所では先ず三千五百円でしょう、と申し上げますと、そんなものかも知れないね、私は今まで夢を見ていた、と言われましたが、それから間もなく「万葉集」は名古屋方面へ、「太平記」は保坂さん(55)にはいったという事を聞きました。
井上 京都の若林春和堂(56)さんの事について一つ何か。
反町 若林さんには以前は大変たくさん古書が出たんだそうですね。
(つづく)
※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏
注
(50) 山本亡羊 京都の儒医、また優れた本草学者。
(51) 南葵文庫 紀州和歌山藩主徳川侯爵家の文庫。後に東京帝大に寄付された。
(52) 岩瀬弥助 愛知県西尾の富豪。古書を愛して蒐集し、岩瀬文庫を創立した。
(53) 神田本の「太平記」 神田乃武博士旧蔵の太平記の古写本。足利時代写。太平記の諸本中で、最も古態を保つものという。重要文化財に指定されている。国書刊行会叢書中に翻刻。
(54) 「万葉集」 神田乃武旧蔵の「万葉集」二十冊。重要美術品。後に名古屋後藤幸三氏に移る。
(55) 保坂さん 新潟県出身の実業家保坂潤治氏。古写本・古文書等の蒐集家。
(56) 若林春和堂 京都寺町通りの有力古書肆。明治大正時代に繁昌。
村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人
下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。
※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。
『紙魚の昔がたり』(明治大正篇) 関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)