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村口書房

宗家の蔵書【洒竹文庫及び和田維四郎氏11】

諏訪 今までお扱いになった本の中で、外に何か珍本というようなものを一つ……。

村口 余り多く扱っておりますので一々憶えてはおりませんが、今まででございますと、京都へ行って一万円で買いました「礼記」の巻子本というようなものでしょうか。

しかし金高の大きな物は割合に儲かりません。「藤波文書」は十万円という大口なんですが、これなどは結局幾ら儲かったかといいますと、星ヶ丘茶寮で御飯を御馳走になっただけです、ほんのお取次ぎしたにすぎません。

井上 宗さん(48)の口の美術倶楽部で夜明し入札の話を一寸……。

反町 対馬の藩主の宗さんですね。

井上 そうです。

村口 宗というお方は非常に立派なお方だったんですが、取巻きが悪かった、それであの有名な蔵書家の本が七花八裂になってしまった。

その中にかなりの品がありましたが、それが美術倶楽部に出ました。で、本屋が皆青柳に寄り合いまして、そうして道具屋と対抗して買おうというのです。ちょうど磯部の親父が平山堂と懇意ですから、それに頼んで鑑て貰った。ですから入札の事がよく判る。それでいろいろ入れ知恵されましたものですから、だんだんとこっちの予定額より値があがって、殆ど倍位になってしまった。ですからしまいにはこれじゃ堪らないから、御免を蒙るという人が仲間の中に出来たが、とにかく本屋と道具屋の争いなんだからとなだめて、一同で倶楽部へ出掛けたんです。

行ったところが、とても大勢なので驚きました。これでは買入れ後の我々仲間の分配と、その上利益などの事を思いますと、とても普通の値段では駄目だから、一人に二百円ずつの買責任を持つという前約で入札しました。結局本屋の方へ来たのですが幾らも儲かりませんでした。金高も四千円を出ず、三千幾らだったと憶えています。そのうちで私は古版の朝鮮本が非常に良かったと思います。皆古刊本でした。それは一口入札で買いましたが、吉田東伍(49)さんに願って、今たぶん新潟図書館にはいっております。まあ結果から見ると、つまらぬ入札でした。

井上 その後に、日本橋の斎藤という大きな潰し屋から、宗家の対外関係の記録が出ました。大変な嵩で馬力に十何台というのです。それは朝鮮関係のものです、それはその時に……潰し屋ばかり歩いている……ある人の口入れで、伊藤福太郎さんと私と大島屋さんの三人が参りました。値段が出来まして、馬力で十何台というものをその晩すぐ引き取って、青柳へ引き込んで入札致しました。それが茶表紙のもので、ずっと揃っている誠に結構な記録でして、対外関係の記録がこのように揃っておった事は、我国の史学上実に貴重のものと申し上げられます。

反町 それは今どこへ行っておりましょうか。

井上 今どこへ行っているか私は存じませんが、この品物がそのまま全部揃ってあったら、先程も申し上げた通り大変なものです。多分切れ切れになった事と思われます。

村口 大部分は慶応大学に入っていると覚えております。

  それをみんな潰しに出したんでしょうか。

井上 そうなんですね。

一心堂 乱暴な話で、ずいぶん勿体ない事ですな。

村口 朝鮮総督府にでも売り込めば大したものですよ。

西塚 それはいつ頃の事ですか。

井上 確か今から二十五年位前の事だったと思います。それから村口さん、吟香さんのお話はどうでしょう。

(つづく)


※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏


(48) 宗さん 対馬の領主宗伯爵家。
(49) 吉田東伍 文学博士。新潟県出身。「大日本地図辞書」の大著で知られた碩学。


著者

村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人

下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。


※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。

          

『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)  関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)