扇面古写経と因果経【洒竹文庫及び和田維四郎氏9】
村口 その内で「訪書余録」に載っている「扇面古写経(44)」。これは大変高いもので、京都に居った時、久原さんからも電話で相談があって「奈良の橋井さんの入札に扇面古写経が出るから、あれを是非取るように」というお話でした。
我々は「扇面古写経」は安いとは思っていないが、マア扇子一枚ですから二、三千円のものとしか思わないけれど、自分では判りませんから、京都の林(書画骨董商)さんにお願いしたところが、「あれは高うございますよ」「何だか知らんけれども、高くてもよいから取ってくれといわれたので、是非に」と申しまして、私は京都に泊って待っておった。
そこへ林さんから「あれは藤田さん(45)がその品をお望みとの事ですから、是非との事ならば相当奮発せんならんと思いますが、先ず三万円だろう」と言うので私は驚きました。「一寸住吉へ訊くから」と言って久原さんへお伺いして「大変な値だそうです。藤田さんが入れるので三万円位だそうで……」「それだから値に拘(かか)わらず取ってくれと申し入れたんだ、十万でも二十万でもいいじゃないか」と言う。(笑声)
成る程さすがは天下の久原さんで、私は誠に失礼申し上げましたと引き退りまして、競争入札の結果は三万円どころか結局四万二千円で取れました。いくら古写経としても誠に高いものと驚きました。
次に「訪書余録」にございます「因果経」……京都の神田さん(46)の蔵品中では、非常にこの「因果経」は名代なものであります。林さんが札元になって神田家の売立を致しました時に、これは出さなかったが、在る事を林さんから知らせて下すった。
こちらは扇面経を取ったから因果経も一枚なくてはいかん。何とか神田家から売立会へ出して貰いたい、と林さんに相談したら「何とかしてやろう」と言う。林さんは神田家のお方に「あなたのお家に因果経のよいものが残っているそうだから、これを入札の飾りに出して一万円の止め札を入れたら、誰も買い手がないとは思いますが如何でしょう、是非お出しなさい」とすすめた。「では出しましょう」と言って神田家では売れないつもりで出しました。一万円の止め札を入れてあるから、こちらでも、奮発して一万五百円に入札して取った。
ところが後で林さんが神田家から怒られまして、大変弱ったということです。
反町 神田香巌さんのだったのですか。
村口 そうですな、こうして概算両文庫で百七十万円位になった。
大雲 年月はどの位でした。
村口 四年以上五年になりましょうね、その内に、余り和田さんが猛烈に買うものですから、久原さんがソロソロ参ってタジタジになって来て、久原さんから話が出て「これから年額を切って貰いたい、年額三万円位にして貰いたい」という話が、久原さんの口からではなく、日本産業の専務という人の口から出た。
私は「それではお約束が違う、大体はじめから岩崎さんと久原さんへお約束したのは、予算を問わずということであります。岩崎さんは予算は問わない。年額三万円と切るなら、御免を蒙りましょう」と言った。
それからゴタつきまして、私は手を引きました。それで京都の吉沢義則先生が、久原文庫専任という事になりました。私はその後は、岩崎文庫の御用だけの専門になってしまった。
(つづく)
※発言者
(姓・・・・・・商号 氏名)
村口・・・・・・村口書店 村口半次郎氏
反町・・・・・・弘文荘 反町茂雄氏
〇聴講者
青木・・・・・・青木書店 青木正美氏
東・・・・・・東書店 東浅吉氏
大雲・・・・・・大雲堂書店 大雲英二氏
市川・・・・・・市川書店 市川円応氏
太田・・・・・・井上支店 太田保雄氏
鹿島・・・・・・光明堂書店 鹿島元吉氏
窪川・・・・・・窪川書店 窪川精治氏
小林・・・・・・小林書店 小林静生氏
小宮山・・・・・・小宮山書店 小宮山慶一氏
酒井・・・・・・十字屋書店 酒井嘉七氏
佐藤・・・・・・崇文荘書店 佐藤毅氏
諏訪・・・・・・悠久堂書店 諏訪久作氏
高林(定)・・・・・・一心堂書店 高林定輔氏
高林(末)・・・・・・東陽堂書店 高林末吉氏
西塚・・・・・・巖南堂書店 西塚定一氏
松村・・・・・・松村書店 松村竜一氏
八木(荘)・・・・・・八木書店 八木壮一氏
八木(敏)・・・・・・八木書店 八木敏夫氏
八木(正)・・・・・・安土堂書店 八木正自氏
山田・・・・・・山田書店 山田朝一氏
吉田・・・・・・浅倉屋書店 吉田直吉(後の11代目吉田久兵衛)氏
注
(44) 「扇面古写経」 扇面型の料紙を粘葉綴にした「法華経」の冊子。筆彩の風俗版画の上に経文を書いた極めて美麗なもの。東京国立博物館に第八巻の完本一冊、大阪四天王寺には五十一枚のもの残存。いずれも国宝。
(45) 藤田さん 藤田伝三郎。山口県出身の実業家。明治大正期最大の書画蒐集家の一人。
(46) 京都の神田さん 神田香巌。明治期の古写経・古写本類の蒐集家。
村口半次郎
村口書房(東京市神田区今川小路二丁目十七〔旧地名〕)初代主人
下谷御徒町の、有名な浮世絵版画商吉金(吉田金兵衛)方で修業。吉金は版画と共に古書を販売したが、村口さんは古典籍を主とし、中年以後は浮世絵は殆ど扱わないようでした。明治三十年頃から活躍し、四十年頃から大正九年まで、大蒐書家和田維四郎の特別の受顧を受け、そのおかげで、古典籍についての知識を広くすると同時に、業界に雄飛するに十分な資財を獲得。大正末期から昭和十年頃までが全盛期でした。古典籍業界では、東西を通じて第一の実力者として、また書林定市会(後の東京古典会)の顧問(という名の会長)として、勢威を振るいました。昭和十五年一月歿。六十五歳。
※このコラムは反町茂雄編『紙魚の昔がたり』(明治大正篇)でお読みいただけます。
『紙魚の昔がたり』(明治大正篇) 関連書・『紙魚の昔がたり』(昭和篇)