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奈良絵本私考(反町茂雄)

奈良絵本の美 【反町茂雄「奈良絵本私考」8】

奈良絵本の美は、奈良絵の美と、文字の美と、料紙、特に下絵の美と、装潢の美とに分けられるでしょう。しかし、主体は奈良絵で、これに次ぐものは料紙・下絵であります。書と装潢とは、特筆すべき程の重さを持つものではないと愚考しております。

 

私は美学について、又美術史についても、多く語る資格を持たぬものですから、ここでは素人らしい感じを申し述べるに止めます。奈良絵の美しさについても、前期と後期とを、ハッキリ区別した方が理解し易いと思います。

前期の中心をなすものは、古朴・古拙・稚拙等の美感であります。稚拙は或は「面白さ」というべきかも知れません。後期においては、多色美・形式美、それに、妙な言葉ですが、総合未分美(過渡期のものの持つ美)等が目立ちます。後期では朴実とか古拙とかの感じは見当たらず、稚の面白さも消え去りました。

具体的に2、3の例を記しましょう。前記の古朴の美を代表するものは、天理の別本鼠の草子絵巻(同館の古奈良絵本集第1所収)であり、チェスター=ビーティー目録No.2の伊勢物語であり、スペンサー=コレクションの岩屋の草紙(No.47)【図】、日本民芸館のつき島等の挿絵がそれでしょう。杭全神社の熊野の本地(芸術新潮昭和51年6月号所載)、慶応大学の藍染川(同上)、天理の天神縁起(天理善本叢書第1集)花鳥風月(同第2集)等は、古拙の美を表現しております。稚拙の面白味は、スペンサー=コレクションの小あつもり(No.43)【図】、天理の慶長12年(1607)の小男の草子(第1集)・ひだか川(同上)等に顕著に見られます。

後期に移りますと、整美の奈良絵本の多くを蔵するのはチェスター=ビーティー=Lで、ここの蔵品の一特徴です。そのNo.5の舞の本、伏見常盤及び笛の巻、No.6大江山絵巻、No.10十二類歌合絵巻等は、ほぼ同時代の土佐派の再興者土佐光起・住吉具慶等の名手を髣髴せしめる体の、整美な作品であります。スペンサー=コレクションのNo.56伊勢津八幡宮祭礼絵巻【図】、No.65鼠の草子絵巻【図】、家蔵の北野通夜物語等も、ハッキリとこの類に属しましょう。色彩美を代表するものとしては、チェスター=ビーティーのNo.4村松物語絵巻が典型的で、金銀泥を加えた多色の濃麗は、披閲する人為に、豪華絢燗そのものの感じを与えます(チェスター=ビーティー目録表紙の図版参照)。同じくNo.16嵯峨祭絵巻、No.17山王祭絵巻等もこの類で、この種の実例は他にも豊富であります。総合未分美と申しますのは、熟さぬ言葉でありますが、土佐派を主体としながら、狩野派・雲谷派の手法を加え、光悦・宗達派などの影響をも受けて渾成されたと思われる、チェスター=ビーティーのNo.4村松物語の如きを指します。これは伝岩佐又兵衛の諸画跡、或は初期肉筆浮世絵と通う所多く、やがては新しい浮世絵派に発展する活力を内包するのでしょう。奈良絵本としては数は多くありませんが、注目すべきものと考えられます。

 

前期・後期を通じて、奈良絵の美の第1は色彩であります。これこそ、宗教画を別にすれば、日本美術史上、特筆すべき独自のもので、その強烈さ、画面を蔽う体当たり的な迫力は、比類の少ないもの。前にもふれました様に、遠く類例を求めれば、ペルシャ・インド・トルコ等のミニエーチャーと、色感が酷似しております。

ヨーロッパ諸国の古いイルミネーテッド=マニュスクリプトは、その題材の多くを新旧約の聖書、又は聖徒伝等の内に得ておりますが、色彩感においては殆ど同一であります。強い色彩は、強い生命力・生活力を表現する、ものなのでしょう。

小さなむすび

奈良絵本の価値は、その美しさにのみ留まらず、国文学の資料として重要で、その内には、古写本・古版本にはなく、奈良絵本によってのみ伝えられた、稀観の作品のかなりが発見されました。また、特に前期のものは、中世文学のテキストとして、校勘に益のあることはいうまでもありません。それは国文学の専門のお方々によって、今後益々広く顕彰されることでしょう。

 

書物史・書誌学の方面から見ますと、奈良絵本は色彩感の豊かな挿絵を主体に構成された書物で、日本の書物史上、ユニークな善本であります。同時に世界の絵入本史上、堂々と關歩すべき国粋(チャンピョン、ひろい、善い意味の)でもあります。この方面での研究は大いに望ましいことであります。

 

絵としての価値については、淡白を愛好し、強い色彩を卑俗と見なし勝ちの、旧来の日本の美術史家・鑑賞者の好みに合わず、これまで不当に軽視された感じでありますが、これは戦国及び江戸初期の日本人の活力、新しい支配者たる武強の士人と、平俗の庶民の好みに合せて産まれた、非貴族的な、しかしオリジナルな芸術として、世界的に再評価されて然るべきものがあり相に感じられます。

ペンシルベニア大学のバーバラ=ルーシュ教授の主唱で、奈良絵本の国際研究会議が、2年にまたがって開催されたことは、この再評価の始動力になるであろうことを期待しております。(了)


■著者:反町茂雄(1901-1991)

古書籍商 弘文荘(古書肆)店主。新潟県長岡市生まれ。東京帝国大学卒業。昭和2年、26歳で神田神保町の古書店一誠堂に勤務。昭和7年独立して古書肆弘文荘を創業し、多くの善本・稀書を蔵する天理図書館の蒐書事業に関わる。著書に『定本 天理図書館の善本稀書 一古書肆の思い出』(八木書店、1982年)、『蒐書家・業界・業界人』(八木書店、1984年)、『日本の古典籍 その面白さ、その尊さ』(八木書店、1984年)、『紙魚の昔がたり 昭和篇』(編著、八木書店、1987年)、『紙魚の昔がたり 明治大正篇』(編著、八木書店、1990年)、『一古書肆の思い出』(全5巻、平凡社、1986-92年)など。反町茂雄が作成した古書の販売目録『弘文荘待賈古書目』貴重書の内容・価格がわかる貴重な書誌学の資料。ジャパンナレッジLib『Web版 弘文荘待賈古書目』で配信中。


■本コラムの初出は、反町茂雄著『本の古典籍 その面白さ その尊さ』(1984年、八木書店)です。
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2059

「奈良絵本私考」をのせる反町茂雄『日本の古典籍』