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立正大学・古書資料館の世界

貞松文庫と採選亭版【立正大学・古書資料館の世界 3回】(小此木敏明)

1.はじめに―貞松山蓮永寺について

今回は、古書資料館の文庫の話から始めたい。同館が所蔵する文庫のうち、最も数が多いのは貞松(みまつ)文庫だろう。貞松文庫は、静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)に現存する貞松山蓮永寺の旧蔵書である。蓮永寺は、日蓮の高弟であった日持が庵原(いはら)郡松野村に開いたとされる。戦禍で荒廃していたところを、徳川家康の側室お万の方(養珠院)が駿府城の鬼門の方角(北東)にあたる貞松山に再興した。家康が再建を許可したのが元和元年(1615)、建物が完成したのが同4年とも言われる(加藤正行『名遠理曾之記』中、静岡郷土研究会、1928年)。

 

戦前の蓮永寺絵はがき(著者私蔵)
左上から、総門・仁王門・半全景。開山の日持には海外に布教へ向かったという伝があるため、袋に「海外弘通元祖日持尊者」とある。

 

蓮永寺は立正大学とも関係が深く、同寺の35世を務めた小泉日慈(1841~1923)氏は、立正大学(当時日蓮宗大学)の2代学長となっている。また現在の住職は、同学仏教学部名誉教授の松村壽巌氏である。

 

2.貞松文庫の寄贈と蔵書数

貞松文庫が立正大学(当時日蓮宗大学)に贈られたのは、大正5年(1916)8月25日のことである。寄贈を決めたのは、蓮永寺の住職であった丹沢日京氏だろう。『月刊宗報』2号(日蓮宗宗務院、1917年1月10日)の「褒賞」記事中には、以下の記載がある。

静岡縣本山蓮永寺住職 權僧正 丹澤日京
一内典 壹千〇壹部 四千五百貳拾貳卷
一外典 四百〇五部 貳千貳百三十九卷
右者前記書籍ヲ日蓮宗大學ヘ寄贈セル段奇特ニ依リ(大正五、一二、五)

丹沢氏が大学に寄贈した蔵書は、「内典」(仏書)が1001部4522巻、「外典」(仏書以外)が405部2239巻という。これが貞松文庫の総数となる。

貞松文庫に冊子目録はなく、今のところOPAC(Online Public Access Catalog)でも検索できないが、調査したところ、約1300点5700冊の所蔵が確認できた。数え方などの問題があるかもしれないが、「褒賞」記事の数より点数(部数)が少ない。大正5年から現在までの間に所在の分からなくなったものもあるようだ。

 

蓮永寺の蔵書印
左から「貞松文庫」(7.1×3.0cm)、「良岳貞/松山蓮/永寺印」(3.6×3.6cm)、「駿河国府/法華道場/貞松山蓮/永寺真章」(5.8×5.8 cm)、「貞松山安置」(7.4×1.8cm)

 

立正大学の蔵書は、幸いなことに関東大震災や東京大空襲で損なわれていない。しかし、大正5年3月8日の大学の火災により、かなりの被害を受けた。図書室に火の手が回る前、学生たちは本を外に運び出したようだが、数万冊の蔵書のうち半数が失われたとも言われる(拙稿「日蓮宗大学の火災と蔵書―新居文庫を中心に」『立正大学史紀要』2、2017年3月)。

貞松文庫が大学に贈られたのはこの火災の後になる。はっきりしたことは分からないが、火災により減少した大学の蔵書を補う目的もあって、寄贈が決まったのだろう。

 

3.採選亭と近世木活字本

貞松文庫の中には、周辺寺社の旧蔵書や、駿府城下で入手したと思われる本が複数ある。その中から採選亭の近世木活字版を紹介したい。

採選亭は駿府江川町の本屋で、主人は柴崎直古(1835没カ)という。直古は、宮ヶ先町で酒造業を営む森直樹(深江屋)の三男として生まれ、銅や鉄を商う鉄屋に養子に入った。文学や学問にも関心を持ち、江戸で鹿都部真顔(1753~1829)に師事し、俳諧歌の判者に選ばれ、文化8年(1811)には国学者平田篤胤(1776~1843)の門人となっている(『静岡県印刷文化史』静岡県印刷工業組合、1967年)。

採選亭では木活字を用い、直古の知人や駿河ゆかりの人物の著作を刊行した。この頃の活字本は近世木活字版と呼ばれ、文禄年間(1592~96)から寛永年間(1624〜44)まで行われた古活字版と区別される。

近世木活字版は18世紀末頃から数を増やしていく。その理由は、清朝の乾隆帝(1711~1799)が新造の木活字で印刷した武英殿聚珍版の影響だと言われている(岸本真実「近世木活字版概観」『ビブリア 天理図書館報』87、1986年10月)。直古が活字を作ったのも、「清人聚珎板」にならったためという。そのことは、採選亭版『揚州十日記』(文政7年)中の「採選亭書目録」に記載がある(長澤規矩也『図書学参考図録』3、汲古書院、1977年)。

貞松文庫の採選亭版は、『無得道論』(文政4年〈1821〉)・『稲川詩草』(文政4年)・『紀元彙』(文政7年〈1824〉)・『西河折妄』(文政12年〈1829〉)の4種類である。

 

左から『無得道論』(見返し)、『稲川詩草』(見返し)、『紀元彙』(巻頭)、『西河折妄』(見返し)

 

 

4.採選亭版『無得道論』と日富

『無得道論』は、日蓮宗の日遠(1572~1642)が法然の『選択本願念仏集』を批判した書である。採選亭が『無得道論』を出版したのは、蓮永寺の依頼によると思われる。そのことは、二つの跋文(刊語)を見ると分かる。

一つ目の跋文には、次のようなことが書かれている。『無得道論』は、日遠門下の若い僧が師の説を記録したものだが、世間に出回っている版本には衍文や語脱が多い。我山(蓮永寺)に伝わる写本は流布している贋本に勝るため、校正して出版する。二つ目には、「深信院妙行日修尼」という人物の百箇日追善の供養になぞらえ、200部印刷するとある。跋文の署名は、それぞれ「貞松山蓮永寺隨量院」「貞松山蓮永寺隨量庵」となっている。

 

『無得道論』跋文

 

跋文を書いたのは誰だろうか。順当に考えれば、『無得道論』刊行時に蓮永寺の住職であった日富だろう。日富(1777~1840)は、下総香取郡多古村(現千葉県香取郡多古町)の出身とされ、蓮永寺の28・29世を務めた人物である。字は見龍で、見龍院・含章院・収牛院・福寿院などの院号があり、日富以前には日猛・日遇と名乗っていた(拙著『立正大学蔵書の歴史 寄贈本のルーツをたどる』立正大学情報メディアセンター、2013年)。

貞松文庫の蔵書には日富の識語が散見される。その識語を見ていくと、28世の頃は日遇と言い、29世となってからは日富を名乗ったと思われる。『無得道論』の刊行時は28世で、文政8・9年(1825・26)頃に29世に再任されたようだ。

日富は、天保9年(1838)に『竜華秘書』という書を著している。これは、京都の妙顕寺が所蔵する文書や記録等を書写整理し、考証を加えたものである。『竜華秘書』の翻刻は、『日蓮宗宗学全書』19(日蓮宗宗学全書刊行会、1960年)に収録されている。日富が記した考証部分には、「貞松山下随量院寓衲某」と署名された例がある(翻刻は「随童院」とする。山喜房仏書林発行の1968年版も同じだが、「随量院」の誤りとみて改めた)。随量院は蓮永寺の支院として知られるが、僧侶の住居でもあったのだろう。文政4年(1821)当時も、日富が随量院に住んでいれば、跋署名を「貞松山蓮永寺隨量院」と書いても、おかしくはない。

 

5.日富の蔵書印

『無得道論』と日富の関わりについて、別の角度からも検証してみたい。古書資料館には、貞松文庫以外にも『無得道論』を有する文庫がもう一つある。それは島田文庫という。島田文庫は、神奈川県川崎市にある興林山宗隆寺の旧蔵書で、昭和37年(1962)6月に島田堯存氏によって寄贈された。昭和45年(1970)には、立正大学図書館より冊子体の『立正大学蔵 溝之口宗隆寺島田文庫目録』が出されている。

島田文庫の『無得道論』には、一つ目の跋署名の脇に「貞松山主」「遇龍之印」という印が押されている。貞松文庫の『妙義論』(文化15年〈1818〉)には、同様の印記と日遇による文政6年(1823)の識語がある。印と識語が同時期のものとすれば、印記の「遇龍」は見龍日遇(=日富)を示すのではないか。そうなると、島田文庫の『無得道論』は、日富が宗隆寺へ贈った本である可能性が高い。

 

「貞松/山主」「遇龍/之印」(各3.2×3.0㎝)
左: 島田文庫の採選亭版『無得道論』の印
右:『妙義論』の識語と印

 

一つ目の跋署名の下には、もう一つ「和平」という印が押されている。この印も、同じものが日富の識語と共に確認できる。印記が見られるのは、表紙に「三丁集 二(四)」と書かれた漢詩文2冊である。この『三丁集』は、山梨稲川(1771~1826)の自筆稿本だが、各冊の見返しには、日富が天保4年(1833)11月9日に購入した旨の識語が見られる。識語の署名に押されている印は、跋署名の下の印と同じものである。

 

「和/平」(直径1.4cm)の印
左:『三丁集』二(見返し)
右: 採選亭版『無得道論』

 

実は、貞松文庫にある採選亭版『無得道論』は1点だけでなく、同じものが7点存在する。島田文庫の1点を加えると全部で8点となり、「和平」の印はそのすべてに押されている。採選亭版の『無得道論』には、あまねくこの印が押されていたのではないだろうか。

 

6.おわりに

採選亭版の『無得道論』を所蔵している研究機関は少ない。まして、8点も有しているところは古書資料館のほかにないだろう。しかし残念ながら、その情報は広く知られていない。近世木活字版について調べるには、後藤憲二編『近世木活続貂』上下(青裳堂書店、2010年)が図版付きで便利だが、採選亭版『無得道論』はハーバード大学の燕京図書館所蔵のものが参照されており、図版の掲載もない。

今後、古書資料館が所蔵する文庫の利用機会を増やすべく、OPACで検索できる環境を作ったり、冊子目録を出したりする必要があるだろう。

ところで、燕京図書館の和漢古書については、八木書店から関連書籍が刊行されている。鈴木淳・マクヴェイ山田久仁子編著『ハーバード燕京図書館の日本古典籍』(八木書店、2008年)がそれである。この本にも、採選亭版『無得道論』について触れた箇所(125頁)があることを指摘し、結びとしたい。

 

*本コラム掲載の画像は、すべて立正大学図書館の許可を得て掲載している(筆者私蔵除く)。掲載画像の2次利用は禁止する。


■小此木敏明

略歴
1977年、群馬県に生まれる。
立正大学国文学科卒業。立正大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程単位取得満期退学。
現在、立正大学図書館古書資料館専門員、立正大学非常勤講師。
〔著作・論文〕
『立正大学蔵書の歴史 寄贈本のルーツをたどる 近世駿河から図書館へ』(立正大学情報メディアセンター、2013年)。
「『中山世鑑』における依拠資料―『四書大全』・綱鑑・『太平記』について」(『説話文学研究』47、2012年7月)。
「『大島筆記』所収の琉球和文について―『雨夜物語』における『源氏物語』『伊勢物語』の享受と『永峯和文』の流布」(『立正大学人文科学研究所年報』53、2016年3月)。

■古書資料館とは
立正大学品川キャンパス内に2014年に開館した専門図書館。江戸時代の和古書を中心に約4万5000冊を所蔵し、開架室では利用者が直接棚から取り出し、閲覧することができる。

http://www.ris.ac.jp/library/shinagawa/kosho.html