あの作家は●月生まれだった<7月編>
今月ご紹介する作家は、柳田国男・谷崎潤一郎・吉野秀雄の3名です。
柳田国男(やなぎた くにお)
明治8年7月31日(一八七五)生
昭和37年8月8日(一九六二)没
民俗学者、詩人。兵庫県生。東京帝国大学法科大学政治科卒。旧姓松岡。国文学者井上通泰の実弟。農商務省等の官吏を経て、東京朝日新聞社客員となる。森鴎外・田山花袋らと交流があり、抒情詩人として期待されたが、次第に民間伝承の研究へ進み、民俗学の理論・方法論を模索する。日本民俗学を近代科学として定着させた指導者の一人。著作として「遠野物語」「桃太郎の誕生」「海上の道」等。
【もっと柳田国男を知る】
●大阪毎日新聞の学芸部に勤めた薄田泣菫に宛てた手紙2通収録(大正6年)
【出典】 倉敷市蔵 薄田泣菫宛書簡集 文化人篇
●明治33年9月 田山花袋、松岡国男(柳田国男)名で発表した報酬をもらう
「田山花袋が松岡国男名で発表した『クロンウエル』(明34・7、博文館、世界歴史譚25篇、13銭)の報酬として50円を得る。」
【出典】『作家の原稿料』
【自筆物を手に入れる】
柳田国男草稿
1帖 『モノモラヒの話』 ペン書 懐紙120枚完 簡易製本
1,200,000円
谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)
明治19年7月24日(一八八六)生
昭和40年7月30日(一九六五)没
小説家。東京市日本橋区蛎殻町生。東京帝国大学文科大学国文科中退。第二次「新思潮」に参加し、耽美主義・悪魔主義的な作品を発表。関東大震災を機に関西へ移住してからは、伝統的な日本美に主題を求めた。その作風は時代と共に移り変わるも、通俗性と芸術性を合わせ持った純文学作家として、晩年まで旺盛な執筆活動を続けた。代表作として「春琴抄」「痴人の愛」「細雪」「鍵」等。
【『新派名優 喜多村緑郎日記』で谷崎潤一郎を調べる】
●谷崎原作「恐怖時代」の新派をみた感想 昭和5年10月28日(第1巻161頁)
「「恐怖時代」谷崎のもので、幸四郎、宗之助などでやつたとやらいふものだが、到底この人達の領分とはあまりに違ひすぎる。大失敗だ。それに反して、二番目の「正方形」―露西亜のもの―実にいい。」
●谷崎の蔵書の一部を譲り受ける 昭和10年1月23日(第2巻395頁)
「折原医師から、谷崎潤一郎氏の蔵書の一部を他の人の手からゆづられたので、贈るといつて二部くれた。珍本也。」
【自筆物を手に入れる】
谷崎潤一郎短冊幅
双幅・380,000円
「たゝかひに破れし国も春なれや四條五条の人のゆきかひ 潤一郎」
「むら雲はやり過しつゝまちうけて月をとらふる庭の松の枝 潤一郎」
吉野秀雄(よしの ひでお)
明治35年7月3日(一九〇二)生
昭和42年7月13日(一九六七)没
歌人、書家。群馬県高崎市生。慶応義塾大学経済学部中退。号艸心。会津八一師事。実家は織物問屋の吉野藤。生涯を闘病の内に過ごすも、鎌倉に没するまで意欲的に作歌を続けた。歌集として「寒蝉集」「苔径集」等。一人目の妻はつとは死別。二人目の妻登美子は八木重吉の未亡人。
【自筆物を手に入れる】
吉野秀雄歌幅
1幅 139×34 自題共箱
夏富士のこき紫が濃き朱に燃ゆる須臾をけふ見つるかも 秀雄
280,000円