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古書通信

時代を写すスポーツヒーロー【日本古書通信 編集長だより17】

写真は、朝日新聞社が発行していた「大相撲画報」の昭和35年2月と5月刊行の通巻29号と30号である。春場所と五月場所特集で今から57年前の雑誌だ。サイズはB4判で50ページ、カラーは表紙だけ。新聞社の雑誌だからタブロイド判の輪転機印刷かと思ったが、正確にB4判である。いわゆるグラフ雑誌で、昔の「朝日グラフ」や「毎日グラフ」と同サイズだが、今では流通上嫌われて殆ど見ない判型である。表紙の二人は言わずと知れた大鵬と柏戸。春場所の大鵬(19歳)は前頭13枚目だが、五月場所では4枚目、柏戸(21歳)は春場所小結、五月場所は関脇だ。この頃から柏戸が引退した昭和44年までを「柏鵬時代」というが、長い相撲の歴史の中でもダントツの人気を誇った時代だ。「柏鵬時代」はテレビが全国的に普及した時代だが、一つ前の「栃錦若乃花時代」(栃若時代)はラジオ時代。その後の相撲界を理事長として支え拡大させた点で、「栃若」(春日野・二子山親方)の功績がはるかに上だろうが、一般的人気から言えば「柏鵬」が上、テレビの影響は大だ。古本の世界でも、相撲では「柏鵬」物が、やはり頭抜けた人気のようだ。ただ、三十代後半の男性知人二人に見せたら、ともに「柏鵬」とは分からなかった。その点では野球の王・長嶋の方が広い世代に知られている。
私は昭和29年生まれで、若乃花の現役時代は見ているが、栃錦は記憶にない。昭和35年の横綱は東の栃錦(34歳)、西・若乃花(31歳)。東張出横綱朝潮(30歳)で、私は朝潮(三代目)と、コロコロした体型の若秩父(前頭7枚目・20歳)のファンで、どういうわけか二人の負けた取り組みだけが記憶にある(朝潮の幕の内通算は431勝248敗、若秩父は367勝398敗)。その点では殆ど負けない大鵬(746勝144敗)に比べ、柏戸(599勝240敗)も負けた取り組みの印象が強い。昭和34年創刊の『少年マガジン』の表紙は朝潮だ。丁度「栃若」と「柏鵬」の間の時代だったのか。
六月号で、「横綱玉の海と鈴木茂三郎」を書いている田坂憲二さんは、大鵬に次いで三代目玉の海(昭和46年急逝)のファンだったそうだが、ライバル北の富士の方が派手な取り組みで人気があったように記憶する。しかし玄人好みは玉の海で、それは私の高校時代、クラスメートと北の富士か玉の海かという話の中で、私が北の富士ファンだというと、お前相撲を知らないなと言われたことを鮮明に覚えている。私も玉の海の渋い強さと盲腸炎による急逝に驚いた記憶はあるが、50歳代だと知らない人が多いだろう。田坂さんは私より二つ上だ。
スポーツヒーローは、映画俳優や歌手、ましてや小説家や漫画家以上に世代を反映する存在だと思う。それは芸術性の高いヒーローには老成していく魅力があるのに比べ、スポーツのヒーローは強さが求められ華やかな期間が短いからだろう。ヒーローの引退のタイミングが難しいのもそれに由来する。大鵬は先代貴乃花に敗れて引退、その貴乃花は千代の富士に負けて引退、千代の富士は貴花田(後に貴乃花)に負けて引退という、ある意味美しい宿命のような幕引きもあるが、かつてのヒーローがボロボロになるまで戦い続ける姿も悲壮ではあるが美しくもある。
ヘミングウエイの『老人と海』(1951年)は、カジキの大物を追う老人が、衰え行くヤンキースのジョー・デマジオ(1951年引退)の復活を重ね合わせて夢見ている。デマジオも漁師の四男だった。我がイチローはどのような幕の引き方をするのだろう。
茨城出身在住の私としては、現在の稀勢の里、高安の活躍は嬉しいが、「柏鵬」のようにはなれないだろうなと思う。ところで、朝日新聞社の「大相撲画報」だが、創刊が昭和31年1月で、終刊は昭和37年1月の通巻39号という短命だった。相撲文献専門の古本屋に聞いたところ、古本でも売れない雑誌だそうだ。でも国会図書館には昭和33年12月までしかなく、Webcatで調べてもどこの大学図書館にも所蔵されておらず、朝日新聞出版に問い合わせて終刊時期を調べて貰った。何故、人気が無いのか。やはりサイズの問題だろうか。それとも、昭和39年の東京オリンピック開催を控え、相撲、野球、ボクシング、プロレスくらいだった人気スポーツの数がずっと増してきたというようなこともあったのか。(樽見博)