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コラム

高精細カラー版からわかること (石塚晴通・国語学)

●魅力的なラインナップ

貴重書を質量共に保持していることで著名な天理図書館の優品を、白黒影印ながら微細な点まで見えるようにしてそれぞれの分野の学に多大に貢献して来た天理善本叢書が、今また其の内の雄品を選び高精細カラー版の新天理善本叢書として新たな学術資料を提供している。第二期古辞書に限っても、国宝観智院本『類聚名義抄』を始めとして重文高山寺本『和名類聚抄』・重文高山寺本『三宝類字集』・重文『世俗諺文』・重文『作文大躰』と天下希本の数々で、誠に魅力的なラインナップである。古辞書とは、文字・ことば両方の集大成であり、それぞれの時代の基本図書である。標準規範を示すと共に実用に供するべく作成されたものでもある。従って標準規範が異なってきたり、改編改訂されたりすると元の辞書は残りにくい運命にある。日本は世界の文化の中で希に複数価値基準を共に残して来たので、これ等の古辞書が残ったのであろうが、稀覯書には違いない。今期の古辞書で観智院本『類聚名義抄』は東寺観智院伝来であることは夙に有名であり、高山寺本『和名類聚抄』・高山寺本『三宝類字集』は其の名の如く高山寺伝来である。しかも高山寺本二書は、鎌倉時代中期(1250年頃)の『高山寺聖教目録』の第九十六函及び第一百一函の項に記載のある原本そのもので、鎌倉時代以来幕末まで高山寺に伝来した事情が明らかなものである。

●原本調査以外には得られなかった情報

今回の高精細カラー版が従来の影印より勝る点は、右の伝来を如実に示す蔵書印等の情報の外に、その辞書の料紙の質感も伝え、これは従来原本調査以外には得られなかった情報である。則ち、これ等の料紙がそれぞれの解題に楮紙と記されている中で、どの程度の楮紙であるかの見当もつくのである。普通の楮紙に記されていれば実用書であり、精製された楮紙ならば稍改まった性格の辞書であることを意味する。若し、料紙が雁皮紙であれば、その本が献上用や貴人御覧用等の公的なもので実用書ではない。例えば、国宝高山寺本『篆隷万象名義』は料紙が雁皮紙であり、その故に実用書ではなく十二世紀に書写されて以来訓点も無く写しも殆ど作成されていないのである。今回の影印は、そのような視点からの研究資料ともなし得るものである。

●疑問点が飛躍的に解決

上は新たに可能になった視点であるが、語学的には従来の白黒影印では識別の難しかった加点の朱墨の別や、加点時期の差の判別を可能とする面で飛躍的進展が見られる。例えば、既刊⑧高山寺本『三宝類字集』の本文冒頭「佛」字の項を見れば明らかな如く、注文にも訓読の朱点が加点されており、観智院本等と比較する上で有用な手がかりが得られる。筆者は既に第一期国史古記録篇②③乾元本『日本書紀』一・二に於いて、例えば巻第一の冒頭部「精妙」の右訓「クハシクタヘナルカ」の片仮名「シ」に朱去声点が確認でき、左訓「久波之久陀弊奈留」の万葉仮名「之」の朱上声点と異なることが確認される等、従来の縮小白黒影印では識別に苦労した箇所が難なく識別でき、疑問点が飛躍的に解決した恩恵に浴している。

 

 

 

●典籍の格

原寸原色影印の有難いところは、その典籍の格を如実に伝えてくれることである。例えば、前記乾元本『日本書紀』では、家学の証本とすべく緊張感を以て念入りに作成された書写本であり、それは雲母引料紙を用いていることでも伝わる。曽て吉田(兼方)本『日本書紀』神代上下二巻の原寸原色影印に関った際、料紙が一見斐(雁皮)紙の如く見える程精製された楮紙であることを高精細デジタル顕微鏡写真を添えて示し、本文用字の字体異体率が0.55%と驚異的数値であることも併せ示して、この書写本が「日本紀の家」としての家学の確立を期して貴人への授講にも備える異常な迫力を以て作成されたものであることを述べた(京都国立博物館編『国宝吉田本日本書紀』解題、2013)が、この種の影印は其の本の格を如実に伝える。天下唯一本であっても、其の本の格により如何なる性格の資料と見做すべきかの見当はつくものであり、この種の影印は大所高所からの研究を多大に益するのである。

●期待される観智院本『類聚名義抄』

今期の雄品⑨⑩⑪観智院本『類聚名義抄』に関して言えば、右の如き視点からの新見が多々予見されるが、更に本書の刊行に合わせてタイミング良く平安字時代漢字字書総合データベース(HDIC, http://hdic.jp, 池田証壽代表)が公開されるので、より緻密な読解調査が可能となり、そのデータベース編纂の一員でもある大槻信教授が本書の解題を担当されることと相俟って研究の飛躍的進展が期待されるのである。

 


*本コラムでご紹介いただいた書籍の詳細はこちらから*

新天理図書館善本叢書 第1期 国史古記録(全6冊)

新天理図書館善本叢書 第2期 古辞書(全6冊)


 

石塚晴通(いしづか・はるみち)

1965年 東京大学 文学部 國語國文學 卒業
1972年 東京大学大学院 文学研究科 國語學 修了

現職:北海道大学名誉教授・高山寺典籍文書綜合調査団代表

専門分野:国語学・敦煌学・文字学

 

 

 
〔主な著書〕
『東洋文庫蔵岩崎本 日本書紀 本文と索引』(共著、日本古典文学会、1978年)
『図書寮本 日本書紀 本文篇・索引篇・研究篇』(美季出版社、汲古書院、1980・1981・1984年)
尊経閣文庫本 日本書紀 本文・訓点総索引』(八木書店、2007年) 等