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古書通信

宮沢賢治 菊の俳句短冊【日本古書通信 編集長だより11】

20161118_130年近くも前の、昭和63年明治古典会七夕市に、啄木の短冊「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」が出品され、真贋をめぐりテレビのニュースにもなったことがある。この件については、故八木福次郎が「啄木の短冊をめぐって」と題し詳しく書いている(『古本便利帖』収録)。その記事によれば、啄木の間違いない短冊は、同じ新詩社に属していた間島磐雄(富岡八幡宮宮司)に贈った「つかれたる牛のよだれはたらたらと千万年もつきざる如し」だけだったが、教科書に収録すべく冨山房に預けていた時に、関東大震災に会い焼失してしまったらしい。他に2枚ペン書きの短冊があり、1枚は「正月の四日になりてあの人の年に一度の葉書も来にけり」だったことを短冊収集家の森繁夫が「柳屋」56号や朝日新聞(昭和11年)に書いているが、現物が世に出ることはなった。その2枚の内の1枚だったかもしれない件の「東海の」短冊は真贋の確定されぬままその後の行方は分からない。
 私は今、参加している俳句同人誌「鬣」に「詩人と俳句」を連載しているが、次回宮沢賢治の俳句を取りあげて見ようと、まず石寒太著『宮沢賢治の俳句―その生涯と全句鑑賞』(PHP・1995)を読み始めて、賢治にも俳句短冊があることを知った。正式な短冊ではなく、障子紙や新聞紙を短冊形に切り練習した反故同然のものらしい。賢治の俳句そのものが少ないのに、短冊はなお珍しい。古書市場に出てきたら、啄木短冊同様の騒ぎになることは間違いない。石寒太氏ほかの関連の文章を読んでも、その可能性が全く無いわけではない。
 賢治の俳句といっても、現在全集などに収録されているのは、以下の30句だけである。それでも研究書が、前記の石寒太著『宮沢賢治の俳句』の他、この本のきっかけになった、菅原鬨也著『宮沢賢治―その人と俳句』(石田書房・平成3/同年・創栄出版が元版)と2冊もあるのには驚く。
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  岩と松峠の上はみぞれのそら
  五輪塔のかなたは大野みぞれせり
  つゝじこなら温石石のみぞれかな
  おもむろに屠者は呪したり雪の風
  鮫の黒肉わびしく凍るひなかすぎ
  雲ひかり枕木灼きし柵は黝し
  霜先のかげらふ走る月の沢
  西東ゆげ這ふ菊の根元かな
  風の湖乗り切れば落角の浜
  鳥の眼にあやしきものや落し角
  目刺焼く宿りや雨の花冷えに
  鷣呼ぶやはるかに秋の濤猛り
  鳥屋根を歩く音して明けにけり
  ごみごみと降る雪ぞらの暖かさ
  魚燈して霜夜の菊をめぐりけり
  灯に立ちて夏葉の菊のすさまじき
  斑猫は二席の菊に眠りけり
  緑礬をさらにまゐらす旅の菊
  たそがれてなまめく菊のけはひかな
  魚燈してあしたの菊を陳べけり
  夜となりて他国の菊もかほりけり
  狼星をうかゞふ菊の夜更かな
  その菊を探りに旅へ罷るなり
  たうたうとかげらふ涵す菊の丈
  秋田より菊の隠密はいり候
  花はみな四方に贈りて菊日和
  菊株の湯気を漂ふ羽虫かな
  水霜をたもちて菊の重さかな
  狼星をうかゞふ菊のあるじかな
  大管の一日ゆたかに旋りけり
 これらの俳句は、最初の文圃堂版3冊全集を引き継いだ十字屋版全集で初めて活字になったもので、原稿の裏や、ノートから採録されたものだ。「魚燈して霜夜の」以下の菊を詠んだ俳句は、昭和7年10月に花巻で開かれた菊花品評会で、賢治が花の肥料に詳しいところから審査委員に選ばれ、あわせて受賞者への景品として賢治の俳句短冊を贈ることになった。その折のノートと、練習に書いた障子紙や新聞紙の短冊に書いた俳句が残り伝わることになった。ただ、現在の筑摩書房全集収録のものと、十字屋版のものでは異同があるし、筑摩の一番新しい新校本全集では、石寒太氏や菅原氏が示した句とも数句違いがある。賢治が書いた俳句の中に、石原鬼灯、臼田亜浪、村上鬼城の俳句があったりして、他にも存疑の俳句や、付句があるようだ。なお「魚燈して」と「狼星」の各2句は別の句というよりは異同の内だと私は思う。
 さて問題は賢治自筆の俳句短冊で、その図版が前記の菅原氏の研究書に収められている。それは、以下の3句だ。ちくま学芸文庫『図説宮沢賢治』(2011)にも、「灯に立ちて」の短冊が収められている。
  灯に立ちて夏葉の菊のすさまじさ
  斑猫は二客(後に二席に変更)の菊に眠りけり
  魚燈して小菊の鉢(後にあしたの菊に変更)を陳べけり
いずれにも「風耿」という賢治の俳号が記されている。他に、東京農大の英文学教授高木栄一氏が、戦時中に訪れた宮沢家で、「たうたうとかげろふたつや菊の花」と書かれた短冊を見たと、俳句雑誌「寒雷」昭和39年11月号に書いているとのことだ。これも全集収録と異同があるが、違うところにその記録の真実味があるといえよう。
 ただ、これらの短冊の所在がどの本にも記録されていない。花巻の宮沢賢治記念館と花巻市博物館に問い合わせたが、所蔵していないという返事だった。今も宮沢家に保管されているのかもしれない。
また、佐藤隆房著『宮沢賢治』によれば、賢治は書いた短冊を、届けられた菊の四鉢に添えて親類へ配ったというから、いつかそれらが古書市場に出て来ないとも言い切れないだろう。
(樽見博)