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古書通信

『短歌研究』昭和20年第4号―疎開という名の難民【日本古書通信 編集長だより9】

20160928_1日本古書通信10月号で、過酷な脳内出血から復活した編集者・中嶋廣さんが、井上卓弥著『満洲難民―三八度線に阻まれた命』(幻冬舎)を紹介している(「一身にして二世を経る」2)。同書は中嶋さんが私淑していた編集者・故鷲尾賢也さんを経て彼が編集を進めていたが、急な病気で幻冬舎の中嶋さんを慕う編集者が継承、出版に至った本だ。世界に重大な難民問題、かつて日本の現実でもあったのだ。
 ところで、先日、『短歌研究』昭和20年の第二巻四号を入手した。『短歌研究』は本来の発行元改造社が解散させられ、木村捨録の日本短歌社が巻号を改め継承した。しかし、この奥付は20年4月1日だが、恐らくは6月になってから発行され、二巻四号で戦時中は休刊となった。裏表紙裏の「編輯後記」に三度印刷工場と用紙が罹災、五月二十六日の空襲以来更に出版の条件は悪くなったという記載から、発行が6月以降と分かるのだが、後記の上段に「文芸雑誌用紙全面配給禁止」というニュースがあり、「四月以降、日本出版会は全面的に文芸雑誌用紙の配給を禁止したので続刊不能の向も相当生じえると見られてゐる。また仮に紙を相当所有するも之を地方印刷工場に輸送し得ない現在では如何なる方策も期待し得ないという実情である」と記されている。文芸雑誌用紙配給の禁止があったというのは、迂闊にもこの記事を見るまで知らなかった。
 この号は、本文48頁、表紙も一応厚紙を使用、勿論多色刷りは禁止されていたから墨一色だが、短歌や随筆、論考の寄稿者は豪華である。ただ、短歌も随筆もほぼ全て疎開文学とも言うべき内容である。随筆のタイトルと筆者を列記して見る。
  焦土に立つ      藤田徳太郎
  強制疎開記      窪田章一郎
  浅春雑記       三好達治
  疎開と空襲―短歌時評 谷鼎
三好の随筆は、勿論越前三国での疎開生活を書いたものだ。三好が野良仕事に勤しんでいる。
「諸家消息集」という短信欄もあり、歌壇の著名人19名が通信を寄せているが、これも殆ど疎開の話題である。発行者・木村捨録のもあり、最後に「二月号の雑誌などは東京都の郵便局では発送ができないので、社員が交替で毎日少しづつ遠い地方の局まで背負つていつて郵送した日もあるようなわけで万事御推察を願ひます」とある。
 短歌も以下のような作品が並ぶ。
  國を思ふ身を三越路にわび寝して京へかへらむ時をこそ待て 吉井勇
  疎開せるこの山寺の夜の灯には山繭かへりし蛾もとびしきる  今井邦子
  人げ遠き野の風物に交じりゐて生き残らばとわれは恐るる   片山廣子
  甥のふみひらき驚くや東京の我家ただちに強制疎開      木下立安
  ししむらのにほひと知りて焼跡の灰原みちをゆくはさびしも  山脇一人
  警報に泣かじと堪ふる小さき身のこまかく震ふ力あつめて   窪田章一郎
  おろかよと人はいふとも東京に生まれて住みて久しきものを  村松英一
  春めくと楽しみし風よ焼原の亜鉛の板を鳴らすひねもす    谷 鼎
  いまごろは焦げたる土と思ひゐし我が庭の上の山吹の花    川田 順
疎開とは言ったけれども、現実は難民である。島国で基本的に単一民族国家であったがゆえに救われた面があるとは言え、家と生活、そして食を求めて国民がさまよったのである。学童疎開という強制的な家族分離の政策があったことも忘れてはいけないと思う。
写真は『短歌研究』第二巻一号と四号。一号にはまだまだ勇ましい短歌が殆どで、疎開の話題は無い。四号までの間に、国民の生活、心情にも大きな変化が起こりつつあったことが分かる。
(樽見 博)