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コラム

若狭湾の大地震【古記録拾い読み1】

1週間ほど前の9月1日は「防災の日」。むろん、今から約90年前の1923年に発生した関東大震災にちなんだものだ。最近、編集した書籍の中から印象に残った大地震の記事を紹介する。

●『兼見卿記』天正13年(1585)11月29日条(史料纂集古記録編 第173回配本 兼見卿記3所収)
子刻大地震、屋宅既ユリ壊躰也、暫時不止、地妖凶事如何、(中略)地震ニ壬生之堂壊之、所々在家ユリ壊数多死云々、丹後・若州・越州浦辺波ヲ打上在家悉押流、人死事数不知云々、江州・勢州以外人死云々、

【深夜零時頃、居宅が揺れ損壊し、暫く止まなかった。その不気味さはいかばかりか。地震によって、壬生堂は壊れた。あちこちの民家が壊れており、死者が多数出ている。丹後・若狭・越前(現:京都府~福井県)に津波が押し寄せ、沿岸の民家をことごとく押流し、死者は数え切れないほどである。また近江や伊勢(現:滋賀県・三重県)でも死者が出た。】

● 同卅日条
昨夜地動、(中略)地動至今日不止、切々地動了、

【昨夜の地震は、今日になっても止まず、余震が続いている】

kenemi3_p118-119

記事によれば、丹後、若狭、越前など若狭湾周辺で津波があり、家が流され多くの死者を出したこと、翌日も余震が収束しなかったことが記されている。『兼見卿記』は吉田兼見(1535-1610)の日記。兼見の弟で、京都吉田山下の神龍院の住職であった梵舜(1553-1632)の日記『舜旧記』同日条(史料纂集古記録編 第12回配本 舜旧記1〔オンデマンド版〕)にも、

 近国之浦浜々屋、皆波ニ溢レテ、数多人死也、其後日々ニ動コト、十二日間々也、

【近国の沿岸部の家々は、みな津波の被害を受け、多数の死者を出した。余震は、12日間続いた。】

syunkyu1_p30

とあり、12日間にわたる余震が記録されている。この『兼見卿記』『舜旧記』やフロイスの『日本史』などの記事にみえる地震は、被害地域の範囲が若狭湾から三河湾に及ぶ歴史上例のない大規模なもので、震源域もマグニチュードもはっきりした定説はなく、いくつかの調査が行なわれているが、震源位置も確定していない。しかし、当時の他の記録を渉猟すると、11月27日に前震と考えられる地震と11月30日に誘発地震と考えられる地震が若狭湾から三河湾に及ぶ地域で発生していることは明らかだ。

若狭湾には、現在、14基もの原子力発電所が建設され、全国のおよそ1/4がここに集中する「原発銀座」の様相を呈している。電力会社は、「若狭湾は、津波による大きな被害の記録がない」と地元に説明し続けてきた。しかし数々の歴史資料が伝えるように、若狭湾から三河湾に及ぶ地域で大地震があったことは明らかだ。「想定外」の事象という説明は、史料を精査してからにしていただきたいものである。

(出版部・M)



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本コラムでは、古記録を読むことで浮かび上がる様々なモノ・コトを、八木書店の史料纂集担当編集者Mが紹介します。

 

 

 


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m9784840651738■史料纂集古記録編 第173回配本 兼見卿記3
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m9784840633307■史料纂集古記録編 第12回配本 舜旧記1〔オンデマンド版〕
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/534