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古書通信

異装版と特装版 【日本古書通信 編集長だより7】

戦前の円本、春陽堂版『明治大正文学全集』の1冊を例えば『島崎藤村集』といった単行本にして独自の箱やカバーを付けたものを時々見かける。春陽堂が出したのか、大量に放出された在庫を仕入れた赤本屋が貸本屋用に装丁を変えて出した造り本なのか分からないが、戦後も昭和30年代くらいまでは、旧版を改装版や新装版として再版するなど、よくある出版形態である。現在でもその傾向はあるが、取次が再版より、初版(つまり新版)を重視するからである。
 昨年秋、秀明大学飛翔祭の「太宰治展」には、戦中から終戦直後にかけての太宰治作品の初版と重版異装本や新装版が一堂に陳列され壮観であった。現在、本誌で多田蔵人さんが連載している「(鴎外)『水沫集』の重版を読む」では、鴎外の意思と出版社側の意向が複雑に入り混じった重版による変化の意味を丹念に読み解いているが、戦中から終戦直後の出版事情には、作家の意思とは別な物質的な理由による異裝版が多いように思う。
 この八月に、関根和行さんのライフワーク『増補・資料織田作之助』が完成する。詳細を極める年譜・著作目録や全集未収録作品目録、参考文献目録に加え、未収録の織田作作品はすべて収録されている。760頁に及ぶ大著だが、調べるための文献というよりは読む資料集だ。その中に勿論、異装版の記述もある。現代社からは多くの織田作作品が出版されているが、新書判『織田作之助名作選集』(全十五巻のうち第十四巻が未刊)の内、『螢』は、版は名作選集そのままでB6判箱入り、『土曜夫人』はB6判カバー裝の単行本として刊行されている。『螢』奥付には「改装版」とある。昭和30年代初めのことだ。
 戦後の出版界が物質的に戦前の最盛期に復旧するのは昭和27年以降かと思うが、それまでは太宰の本に限らず複雑な様相を示していることが多い。そんな中でも特製本は出されているが、やはり物質的な制約によるのか普及版とさほどの違いがなく、よく見ないと特製版かどうかわからない本もある。今回は最近入手したそんな特製本2点を紹介したい。相変わらず俳句関連で恐縮である。
 昭和24年1月、植村書店から飯田蛇笏の還暦記念として『蛇笏俳句選集』が刊行された。菊判紙裝の上製本でカバーのみの並製本と、表裏の見返しに自筆の「ふゆ瀧のきけばあひつぐこだまかな」という昭和17年作の俳句を印刷し、並製にはない「還暦記念 蛇笏 落款」(署名は肉筆)とある第2扉が付き、箱に入りの特製本がある。奥付にも特製本定価参百八拾円と印刷されているが、その他は並製本と全く同じ、並製は定価参百円だ。この本は「日本の古本屋」を見ても2種あり、古書価も大分開きがある。自筆の署名、落款があるからだろう。ただ、角川源義・福田甲子雄編『飯田蛇笏』(桜楓社・昭和48年)収録の著書解題には特製本の記載はない。見返しに人口に膾炙している「芋の露連山影を正しうす」「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」ではなく「ふゆ瀧」の句が選ばれたことは充分の意味があった筈であろうと思う。ただ一見して特製本らしくはない。
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もっと特製本らしくないのは、加藤楸邨の昭和23年2月、松尾書店刊行の第7句集『野哭』の特定版である。『野哭』は、巻頭に「この書を今は亡き友に獻げる 火の中に死なざりしかば野分滿つ」をプロローグとして置く。『火の記憶』(昭和23年5月)と共に楸邨の戦後の再出発を示す重要な句集である。
この『野哭』は本体、カバーとも濃紺の地に書名著者名が白抜きで印刷されたシンプルなもので、並製本も特定版も同一、価格が九十五円と百三十円と違うが、用紙の厚さが違うのか本の厚さが2~2・5ミリ違うだけの差である。用紙の違いといっても、昭和23年だから共にいわゆるザラ紙である。この特定版については全集などの著書解題にも触れられておらず、「日本の古本屋」でも「特定版」と記載されたものはない。『蛇笏俳句選集』特製版のような意味も特に見いだせない。この本を入手して以来、古書即売会でも気を付けて見ているが出会っていない。珍しいものとは思えないが大抵は気づかないだろう。
当時の楸邨主宰誌「寒雷」が何冊か手元にある。昭和22年12月号裏表紙に『野哭』が近刊予告され、年が変わっても以後ずっと広告されているが、4月号にだけ「特製本B6三百餘頁 価九五円 送料一〇円」とある。しかし、この特製本は上製本を意味しているだけで、値段の違う特定本のことではないだろう。長いこと古本を漁り続けているが、著名な本の特製本でこんなに並製と違いのない本は他に知らない。終戦直後の出版事情では、初版と重版でこの程度の差はざらにあるし、インフレによる定価の変更もかなり多いのである。
(樽見博)