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古書通信

俳句誌「京鹿子」同人中西其十と珍企画「俳句雑誌会社見立」【日本古書通信 編集長だより3】

CIMG2211俳句の世界にも、若くして亡くなり埋もれたままの優れた人も多いはずである。資料を発掘して少しでも紹介出来ないものかと考えているが、その才能を見抜くことも、資料を探すことも難しい。
戦前の新興俳句弾圧を象徴する昭和15年の京大俳句事件で起訴された平畑静塔の第一句集『月下の俘虜』(昭和30、酩酊社)に、山口誓子が13頁に及ぶ長い「序」を書いている。その文頭に次のようにある。
三高同窓会の名簿を開けて見る。
大正八年が五十嵐播水、大正十年が日野草城、私がその翌年で、大正十二年が金子無絃、長坂二葉。在学中に死んだ中西基十の名は名簿にはない。
三高俳句会で誓子が出合った学友を列挙しているのだが、在学中に亡くなったという「中西基十」が気になる。この三高生の名は『現代俳句大事典』(三省堂)などには立項されていないし、著書もない。手掛かりがあるとすれば、三高俳句会が草城を中心に大正9年に創刊した「京鹿子」を見ていくしかないだろう。前記の事典で「京鹿子」を知らべると、創刊同人は草城、鈴鹿野風呂、岩田紫雲郎、高浜赤柿、中西其十、田中王城の六名。しばらくして五十嵐播水、山口誓子、野村泊月、松尾いわほ等が参加とある。誓子が「基十」と書いたのは、誓子全集の年譜や、俳句結社誌「青玄」の日野草城追悼号(77号、昭和31)の五十嵐播水の文章にも「其十」とあるから、誤植だろう。ただ読みは「きじゅう」ということか。
他の用もあったので、神奈川近代文学館に行き資料室で「京鹿子」を閲覧することにした。楠本憲吉旧蔵書を中心とする同館の俳句雑誌は充実しているので間違いなく創刊当時のものがあるだろうという期待は外れた。大正14年9月号(第五巻九号)が一番古い号だ。因みに日本近代文学館は大正15年3月号から、俳句文学館は昭和6年分からしかない。国会図書館にはもっとない。Webcatで全国の大学図書館の蔵書を検索しても古い所は全然ない。神奈川近代文学館が一番揃っている。
誓子の序文に書かれた年号は三高卒業年である。9年の創刊同人で、在学中に死亡したなら旧制高校は3年間だから、大正11年までしか「京鹿子」に其十の作品は掲載されていないことになる。それでもかすかに期待はしたのだが残念だった。その他に一年に一冊『京鹿子句集』が刊行されているが、所蔵されているのは『京鹿子第二句集』(昭3)で、収録対象は大正14年から昭和2年まで。閲覧したが中西其十の作品は一句も無かった。
帰宅して、当時の「ホトトギス」雑詠欄に投句しているのではないかと、家蔵分を調べたら、大正10年6月号に一句だけ入選していた。
 春雨や暮るゝ障子の指の穴 京都 其十
当時の「京鹿子」同人たちは盛んに同欄に投句しており、この号には以下の句が掲載されていた。
 うらゝかに妻の欠びや壬生念仏  京都 草城
 薫風や肘枕して肘尖る      同
 人それぞれ吉凶ありて家の夏   同
 盛り花の中に高さや水仙花    京都 王城
 背の子の起きて軽さや春野行く  同
 風に靡きしまゝの容ちや蘆枯れし 同
 男もす赤前垂や桜茶屋      京都 野風呂
 とまる蝶誘はれたちてもつれけり 同
 捨て舟に青みどろ泛き水辺春   京都 紫雲郎
みな傾向は似た作品である。ところが、書庫を探していたら、何と『京鹿子句集』(鈴鹿野風呂編・大正14)が出てきた。第四集(昭和8年)は既に見ていて其十句の収録がないことは確認していた。第一集には創刊から五十輯までが収められている。早速調べると前記「春雨」の句を含め五句収録されていた。これは他の同人に比べかなり少ない。
 お負うた児の足ぶらぶらや春の風
 祇園の灯それぞれまるき夜霧かな
 コスモスの花相触れて親しまず
 山影のひろごりつきし枯野かな
これだけでは才能の程は分かる術もないが、いずれも佳句で将来性はあったのではないか。大正10年中には亡くなってしまったのかもしれない。
俳人田島和生氏の『新興俳人の群像―「京大俳句」の光と影』(2005・思文閣出版)に「京鹿子」創刊号(個人蔵)の書影が掲載されているので、どこかにはあるのである。他の作品も追悼文などもあるのではないか。日本の古本屋ではヒットしない。気長に古書市場に出てくるのを待つしか方法がないようだ。
ところで、神奈川近代文学館所蔵「京鹿子」を閲覧していたら、昭和2年1月号に「俳句雑誌会社見立」という4頁の記事を見つけた。当時の有力俳句雑誌であった「ホトトギス」「山茶花」「天の川」「破魔弓」「蜜柑樹」「鹿笛」「鹿火屋」「くまの」「アヲミ」「辛夷」「紫苑」「土上」「麦笛」それぞれの中心メンバーを会社の役員に当て嵌めた人事一覧なのだ。こんなふざけた茶目っ気のあることを考えるのは日野草城しかいない。そして、「京鹿子」の同人たちがそれぞれの中心メンバーも兼ねているから許されたこと、見方によれば自信の現れでもあろう。全部は引用出来ないので、「ホトトギス」だけ紹介する。
〇ホトトギス合資会社(別名総本山)
社長   高浜虚子
総務理事 池内たけし
常務理事 星野吉人
同    星野立子
理事   十数名
監事   寒川鼠骨、佐藤肋骨、柴 浅茅、相島虚吼、山崎楽堂
顧問   内藤鳴雪死亡ニ付欠員
嘱託   永田青嵐
雑詠部長(兼)高浜虚子
文章部長 大岡龍男
小説部長 高浜虚子
論文課長 山口誓子
入門部長(兼)池内たけし
営業部長(兼)池内たけし
地方部長 西山泊雲 
社長室課題勤務九名アリシモ休戦待命中
俳談部長(兼)高浜虚子
速記課長 柴田宵曲
雑詠句評部長 高浜虚子
部員 岩田紫雲郎、水原秋桜子、楠目橙黄子、鈴木花蓑、富安風生、高野素十、増田手古奈良、
中田みづほ(雑詠入選率研究の為目下外国留学中)
余興課長 水原秋桜子
同次席  高野素十
同課員  三宅清三郎
以上だが、この記事を見た虚子の苦虫を噛みつぶしたような表情が思い浮かぶようだ。
(樽見 博)