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古書通信

渡辺水巴の「曲水文庫」「曲水叢書」について 【日本古書通信 編集長だより2】

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「日本古書通信」2、3月号で大屋幸世氏が取りあげている『新俳句選』の編者・渡辺水巴(明治15年~昭和21年)は、その作品を読むと今の日本人が失ってしまった美質を備えた大変に素晴らしい俳人だと思う。
代表句といわれているものに次のような作品がある。
  てのひらに落花とまらぬ月夜かな
  かたまつて薄き光の菫かな
  白日は我が霊なりし落葉かな
  寂莫と湯婆に足をそろへけり
  ふるゝものを切る隈笹や冬の山
「ホトトギス」系の俳人ではあるが、単なる花鳥諷詠ではない、生活感のある主観の強く出た作風である。ただ、今日では忘れられた俳人の1人といっても間違いではなく、新刊書でその俳句作品や文章を読むことは出来ない。
水巴ばかりでなく、近代に活躍した文学者でその作品を現行書で読める作家は全体の1割、あるいは1パーセント以下かもしれない。殊に明治・大正期に活躍した俳人となると手軽に作品が読めるのは子規と虚子くらいだ。ともかく、少し毛色の変わった作家の作品を読むには古本を探すしかないが、ひとつだけ救われるのは「日本の古本屋」など検索機能を備えたネット流通が発達したことで、探求の効率は以前と比べようもないほど向上したことだ。
水巴の作品を読むには、彼が主宰した俳句雑誌「曲水」の名を冠した「曲水文庫」4冊と「曲水叢書」18冊、「続曲水叢書」4冊が基本となるが、このシリーズ、国会図書館や日本近代文学館、神奈川近代文学館、俳句文学館でも完全には収蔵されていない。「日本の古本屋」で検索すれば特別高価でもなくそれなりに出ているが全体の半分もヒットしない。昭和59年に『水巴文集』上下2冊が曲水社から刊行されていて、前記叢書類に収められた随筆類は集成されているが、何部刊行されたのか、ありそうで無い本だ。また昭和31年に近藤書店から刊行された『水巴句集』がいわば精選句集に近いもので、これも現時点では「日本の古本屋」でヒットしない。非常にバランスのとれた詳細な年譜が付いている。
「曲水文庫」「曲水叢書」は、水巴の趣味が強く反映された地味だが大変趣味の良い体裁で江戸下町庶民の粋が生きている。冊数も程よく、いたく収集欲を刺激するシリーズなのだ。
 水巴の俳句の師は内藤鳴雪であるが、花鳥画を得意とした日本画家で明治期小説の挿絵画家としても人気のあった渡辺省亭の長男である。父譲りの美意識が水巴の要で、父親についても多く書き残していることから、俳人というよりは省亭の語り部として興味を持つ人も多いようだ。
 「曲水文庫」4冊は以下の通りだ。曲水吟社刊行
第1篇 『水巴句集』水巴著      大正4年3月
第2篇 『南浪句集』水巴編      大正4年5月
第3篇 『左衛門句集』吉野左衛門著  大正5年6月
第4篇 『曲水俳句鈔』上下 水巴選  大正7年6、10月
 「曲水叢書」18冊 曲水社刊行
第1篇 『隈笹』(句集)水巴著    昭和10年2月
第2篇 『月笠句集』中島月笠著    昭和10年6月
第3篇 『頑石句集』鈴木頑石著    昭和10年9月
第4篇 『碧雲居句集』大谷碧雲居著  昭和11年2月
第5篇 『草坡句集』水野草坡著    昭和11年6月
第6篇 『切子灯籠』水巴編 平野坩奇・山中木三・高須稲村・海野頸子・織田庭月・梅林地球子(物故俳友句集)         昭和11年7月
第7篇 『みそ萩』水巴選 南拾参生・宮田国郎・掛川谷水・佐々木摩山水・山地羽村・宮崎杏銭子(物故俳友句集)       昭和11年8月
第8篇 『詩心即仏心』 南拾参生著  昭和12年3月
第9篇 『永遠と平安』 南拾参生著  昭和12年3月
第10篇  『鵑子句集』 三木谷鵑子著 昭和12年8月
第11篇  『路地の家』 水巴著    昭和13年6月
第12篇  『蓑虫の散歩』水巴著    昭和13年10月
第13篇  『葉牡丹の渦』(曲水関係五家随筆集)水巴編 昭和13年12月
第14篇  『彼岸の薄雪』水巴著    昭和14年6月
第15篇  『花を語る』 水巴著    昭和15年5月
第16篇  『夏の風景』 水巴著    昭和15年8月
第17篇  『初富士』 水巴著     昭和15年11月
第18篇  『雨傘』  水巴著     昭和16年2月
「続曲水叢書」4冊 曲水社
第1篇 『南海』(句集) 小島沐冠人著    昭和16年6月
第2篇 『浮葉』(句集) 鳥飼宵衣著     昭和16年9月
第3篇 『天の川』(句集)佐野青陽人著   昭和16年9月
第4篇 『燈影礼讃』水巴著      昭和20年2月
その他に、水巴には、『水巴句帖』(大正11年6月、風雅堂)、『続水巴句帖』(昭和4年11月、曲水社)、『縮刷水巴句集』(昭和4年12月)、句集『白日』(昭和11年7月)、『富士』(昭和18年10月)、『自選句集 新月』(昭和22年4月)、『妹』(昭和22年2月、青磁社)がある。また、「曲水」同人選句集として『曲水句帖』上下巻(昭和2年5、6月、曲水社)、水巴を含む同人四人の撰による『年刊曲水俳句集』(昭和5年12月~11年9月)が曲水社から刊行されている。前記『永遠と平安』巻末の既刊一覧によれば、第5輯まで刊行され、当時既に全冊絶版とある。因みに、「曲水叢書」7篇までも絶版である。かなり数を抑えた出版であったのだろう。
なお、昭和20年1月に「続曲水叢書」として『妹』が刊行される筈だったが、戦災で中止となり、前記の通り、昭和22年に青磁社から刊行されるが、そのおり『燈影礼讃』全文が同時に収められた。『燈影礼讃』は昭和20年2月に非売品として刊行されたもので、紙質も悪くアンカット。趣味的というよりは物質的な問題かと思う。残存部数が少なく読むのに困難という理由で『妹』に併載されたが、「日本の古本屋」では何件かヒットする。ただし保存状態はよろしくないようだ。
「続曲水叢書」が昭和16年以降刊行、20年の『燈影礼讃』まで中断されたのは、普通に考えれば戦時体制が強化され出版が困難になったからだろう。『燈影礼讃』には当時流通に必要であった出版協会の承認番号がない。国会図書館には曲水社から寄贈されたものが所蔵されているが、『燈影礼讃』はない。納本もされていなようだ。同叢書の国会図書館所蔵本には内務省の検閲印のあるものもある。
以上の水巴の出版活動、俳句雑誌「曲水」の出版ともいえようが、概観すると内向き結社内に限定されている感はあるが、かなり活発だと判断できる。『南浪句集』『草坡句集』『切子灯籠』『みそ萩』は物故同人の句集であり、『詩心即仏心』『永遠と平安』も南拾参生の遺文集である。物故者を含む同人の著書を叢書のような形で独自に出していた俳句結社は少ないと思う。
私蔵の『水巴句集』は大正11年7月刊行の再版である。発行所は風雅堂とあるが、水巴居と同住所だから私家版のようなものであろうが、再版されている。見返しに金田紫良という旧蔵者が水巴との出会いを書きこんでいる。大正12年10月記とある。この方も同人で、昭和21年9、10月の「曲水」水巴追悼号に「悼水巴先生」という欄があり、「九十九谷師の無き友等月に出て」という句を出している。
俳句の世界は今も昔も変わりなく、結社内で終始していることを表す事例である。「曲水文庫」「曲水叢書」はそれぞれ定価が付いているが、形態からみても書店で販売されたものではないだろう。俳句史といえども、出版流通やジャーナリズムと無縁ではないが、通常の販売ルートを持つものを中心に考えるだけでは実情はつかめない。結社内で終始していたからこそ刊行出来た本もあるということだ。(樽見 博)