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紙魚の昔がたり

五〇〇万円の大口 【紙魚の昔がたり16】

(八木) それと同時に、松坂屋時代の、子規よりももっと大きな思い出は、久原文庫のことです。現在の大東急文庫の基礎になっている大蒐集ですが、当時すでに久原家の都合で、所有権は親戚の藤田家に移っていて、現物は京都大学に寄託してありました。この頃、二十二年かと思いますが、藤田さんの方でお金が入り用で、売りたいという話がありました。その時分の金で、確か五〇〇万でした。五〇〇万という金は、とても大きな金で、どこでも出来なかった。
 (反町) あのことは、私も到底忘れられない。藤田さんは、五島慶太さんに買わないかって勧めたんです。久原と藤田は、古い親戚。久原は、ご承知のように大実業家で、後には政治家になって、政友会の総裁になりました。藤田は財閥の藤田の家です。藤田家と五島家も姻戚でした。
 (八木) 藤田さんの娘さんが、五島慶太の息子昇さんの奥さんなんです。
 (反町) そういう関係で親しい。ところがさすがの五島慶太も、あの当時は五〇〇万の金が出来なかった。たまたま五島さんのところへ出入りしていた浅倉屋の主人、数年前亡くなったあの久兵衛さんに相談した。自分のところでは、せいぜいで二五〇万円くらいしか出来ない。君の方で、残りの二五〇万円を、どこかで工面してくれないか、共同で買おうという話。時世とはいいながら、ずいぶんおかしな話ですが、本当の話です。その頃、私は浅倉屋さんと非常に懇意でした。古典会の市がすんだ帰り、夏の暑い盛りでしたが、二人で天ぷらを食べながら、ビールを飲んでいたら、途中で浅倉屋さんが、実は大変に大きな口があるんだけども、お金が出来ないだろうかって、相談を持ちかけた。私はその折に、大して金もなかったんですが、まあ若干あったし、本も買いたいもんだから、一体何ですかと問いただしたら、秘密だけれども、久原文庫を売る話があって、五島さんが半分買う、あと半分は二五〇万円出せば、こっちで買えるんだという話。二五〇万円は、とても出来ない。現在手元にあるお金は、六〇万円か七〇万円くらい。久原文庫の内容は、大体は知っていた。その半分を二五〇万円で買えるなら、よい買い物だと思いました。それじゃ有力な業者に話をして、共同で買おうと思いつきました。その頃、大口の出ものが多かったものですから、有力な人々に呼びかけて、共同仕入れのグループをつくっていました。一誠堂さん、村口氏、古屋氏、それから井上書店の先代、以上の四人と私と、合計五人で。