ウブな大口仕入の数々 【紙魚の昔がたり14】
(八木) で、仕入の方は、他の店があまり広告をやらない時代に、朝日新聞の東京版と地方版を使って、相当盛んに広告したもんですから、月に何回もトラックで運ぶような大口の仕入がありましてね。一つ二つをあげて見ますと、神奈川電気の社長をやっておられた松田福一郎さん。この方は美術書。随分良い物がたくさんありました。外に百万塔陀羅尼を七つ、八つ、同時に頂いたことを、よく覚えています。
(反町) 松田さんの小田原のお宅ですね。
(八木) 立派なお家で、庭が広くてね。で、百万塔をいくつも持っておられまして、全部くださいってわけで……。
(反町) 私は古典籍を、国宝の『古今集註』など、良い物を五、六点頂いた記憶があるが、その時は百万塔は全然なかった。多分あなたの方が先ですね。
(八木) 第一書房の長谷川巳之吉さんが鵠沼におられまして、ここからやはり美術書を主に、たくさん仕入れました。フランス語の『ル・アール』という大判の美術雑誌を合本にしたものが五十五、六冊あったのなどを買ったんですが、大量なので、トラックはもちろん、自動車もろくに動かない時代のことだから、運ぶのに困りました。第一書房の豪華本をつくる時の参考にされたんだと思いますが、フランスだとか、イギリスの豪華な装幀の洋書を、何十冊もいただきました。自分で出版された『山中常盤』の十二巻箱入の複製だとか、その他いろいろのものがありました。
ほぼ同じ頃に鎌倉で、永井荷風の関係者の方から、荷風がアメリカで恋人宛てに書いた手紙を、未投函のまま持ち帰ったのを、荷風関係のいろんな本と一緒に分けてもらったことがありました。これは第一回の松坂屋古書展に出品しましたが、出版社や新聞社の方が大きく取り上げてくれました。また別の人からですが、大珍本の『ふらんす物語』の初版など、珍しいものの数々も買入れました。明治物の稀書の仕入れが、偶然ですがたくさんあったもんですから、昭和二十二年の二月に、上野の松坂屋で、明治大正のものだけの古書展をやったんです。明治古典会という名前で、大先輩の玄誠堂の芥川さんを会長に、反町さん、一誠堂さん、菰池さん、木内さん、井上さん、進省堂さん、それらの方々と私の松坂屋古書部と共同で。この時には、ビックリするようないい物がずいぶんたくさん集まっています。私の出品では、正岡子規の『七草集』、これは子規の自筆の原稿百四枚に、漱石が朱筆でたくさん書入をしたもの。『和光帖』という子規の自筆帖。それから森鷗外の書簡だとか原稿だとか。鷗外の原稿は『性欲雑誌』というのが毛筆で二十一枚。これが三千五百円。それらの外に、私の出品ではないが、鷗外の『伊沢蘭軒』の再訂原稿とか、漱石の良い長い書簡など幾つも。
(反町) 戦後の百貨店での古書展としては第二回目でした。第一回は二十一年の十一月、東京古典会の白木屋展。これが非常な好成績。松坂屋のは明治物が中心なのが特徴。これまた大盛況で、これがキッカケになって、今日の明治古典会が始まるのです。そういう意味で、二十二年の松坂屋展は重要なものです。しかし、八木さんが子規のものを根岸の子規庵の寒川さんの手から買われたのは、もっと以前じゃないですか。
(八木) 即売展より以前に買ったのを、ここに出品したのでした。またそれとは別に、非売品で、並べて展覧に供するだけという条件で、二十点ばかり特別に出品してもらっております。この特別出品した分を、その後、明治古典会が市会として正式に発足した時に、寒川さんに頼んで売り立てに出してもらったんです。