売る物なしのデパートで古書部開店 【紙魚の昔がたり12】
(反町) 戦争の影響で用紙が極端に不足したから政府は消費を無理にも減らすために統合を強制した。紙は配給制ですから、数社が合併しなければ配給しないという指令を出したわけですね。
(八木) 東京へ出てきたが、神田のすずらん通り、東京堂のすぐ側にあった私の店は、留守を託した弟の福次郎が、田舎に帰る時に売ってしまって、権利も何もない。田舎に山や田はあるが、金が全然ない。二十一年ころは、今日からは想像も出来ない程の物資の不足時代で、東京で一流の各デパートには売るものがない。売場がガラガラに空いてしまって、格好がつかない状態でした。そこで古本屋を歓迎して、何でも商品さえあれば並べてくれという状態。三越は一誠堂、白木屋は明治堂、新宿の伊勢丹は北川書店等々、各デパートに古書部をもうけていた。デパートなら、そう資金はなくてもやれるかな、と考えました。たまたま本郷の井上書店に寄ったら、上野の松坂屋が古書部をやりたがっていたよ、と教えてくれました。すぐに松坂屋に行く。飯田さんという人が営業部長、堤さんが支配人。飯田部長は本がとても好きで、デパート人らしくない文化人でした。飯田さんは書物展望社の斎藤昌三さんとも親しく、後で斎藤さんへ飯田さんから照会があり、斎藤さんも私を推薦してくださったらしい。また古書業界では、本郷の井上さんや、古屋柏林社さんからも推薦してもらって、松坂屋に入ることにきまりました。
向こうは、月給で入れたかったようなんですね。こちらは自分の計算で自由にやりたい。他のデパートでは、全部そうしている。他のデパート並みにして下さいと頼んだら、幸いに承諾してくれました。金はあるかと聞くから、多少はあります、万一の時は山を売りますと言ったが、実は有り金はたいても、いくらもなかった。二十一年九月から始めることにして、開店の準備に、大至急古本を集めなければならない。そこで八月十一日の「朝日新聞」に、古本買入の広告を出した。十一、十二と二日間続けて。その広告料の領収書は、記念に現在持っていますが、それが何と七四二円。本紙が七〇〇円で、神奈川版が四二円でした。九月一日には六五〇円の広告をしていますね。この買入広告が大当たりで、仕入れがワンサワンサときました。持ってる金は、たちまちなくなっちゃった。有り金は全部古本に変っちゃった。家内を郷里の二見へやったけれど、なかなかそんな急な金なんて、持ってきてくれないし……。