尊経閣善本影印集成62 小右記7
藤原氏全盛期の平安中期の基本史料を【高精細カラー版】で提供!
小右記は、平安時代中期の公卿、藤原実資(九五七?一〇四六)の日記です。著者の出自と政治的位置とに伴う情報の豊かさと正確さ、それを記録する意欲の強さと表現能力の高さを兼備し、貴族の日記として代表的であるだけでなく、平安中期の基本的な史料として貴重。政治・儀礼・社会・家族・宗教・文化などの実態を知る最高の史料です。
尊経閣文庫では、古写本として全三十七巻を所蔵。本史料の自筆本は現存しないが多くの伝本があり、なかでも平安・鎌倉時代の書写になる尊経閣文庫所蔵本は伏見宮家旧蔵本、九条家旧蔵本(ともに宮内庁書陵部所蔵)などと並んでもっとも古く、質・量ともに極めて優れた古写本といえます。
今回は、寛仁三年(1019)を収録。以下のような記事が掲載されております。
【所収巻の記事例】
■藤原頼通関白就任
(寛仁3年〔1019〕12月23日条【甲巻25】)
藤原頼通は、前年の後一条天皇元服を受けて摂政を辞し、替わって関白となった。以後、治暦3年(1067)まで半世紀にわたって関白を務め、父・道長とともに摂関政治の全盛期を築いた。
本条では、前日に上表されていた頼道の摂政辞任を許し、替えて関白に任ずる詔書が下されている。
■刀伊の入寇
(寛仁3年〔1019〕4月17日・18日条【甲巻23】)
刀伊(女真族)による対馬・壱岐襲撃の第一報。刀伊勢は賊船50艘という大船団で、殺害された者は数百人、拉致された者は千人以上にものぼったが、大宰権帥・藤原隆家の活躍もあって撃退に成功した。大宰府からの飛駅は4月17日夜に到来し、翌18日の公卿会議で開示されたが、隆家と親交のあった実資は、隆家からの私信によって4月7日にはこの情報を知っていたことがわかる。
■刀伊による被害の状況
(寛仁3年〔1019〕6月29日条【甲巻23】)
同年の刀伊入寇について、大宰府から上申された勲功者と被害の報告。賊徒による被害の状況や、現地の人々の動向が詳細に記されている。特に被害報告では、殺害された者や、拉致された人々、燃やされた住宅、食べられてしまった牛馬について具体的な数字を挙げて伝えている。
*上記の該当本文写真はこちらのパンフレット(PDFファイル)に掲載しております。
https://catalogue.books-yagi.co.jp/files/pdf/c9784840623629.pdf
尊経閣善本影印集成62 小右記7
https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/202