コラムバックナンバー(2019年1月)

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  • 奈良絵本の美 【反町茂雄「奈良絵本私考」8】

    奈良絵本の美は、奈良絵の美と、文字の美と、料紙、特に下絵の美と、装潢の美とに分けられるでしょう。しかし、主体は奈良絵で、これに次ぐものは料紙・下絵であります。書と装潢とは、特筆すべき程の重さを持つものではないと愚考しております。   私は美学について、又美術史についても、多く語る資格を持た […]

  • 奥書と商品化と 【反町茂雄「奈良絵本私考」7】

    今日まで見ることを得た、恐らく1000にも近いものの内、ハッキリと年記のある最古のものは、文正元年(1466)の八幡の御本地絵1巻(弘文荘古書目第16号157参照)であります。大型の巻物、巻首3、4葉を欠いていますが、現存紙数34枚半の長巻。巻末に、左の奥書があります。 「奉寄附大日本国周防国吉敷郡 […]

  • 奈良絵本とは? 【反町茂雄「奈良絵本私考」6】

    奈良絵の、又は奈良絵を挿入した本と規定してよいでしょう。本とは書籍・書物の意味で、冊子と、冊子の古い形態である巻物と、両方を包含しております。奈良絵本を冊子にのみ限定しようとする論は、本(即ち書物)は、冊子・巻子を包含した汎称であることの否定に通じ易く、いささか無理の様に感じられます。或は中世小説に […]

  • 需要層の問題 【反町茂雄「奈良絵本私考」5】

    需要者がどの層だったかということは、直ちに商品の質と量に反映致します。上代及び中世前半の絵巻物とは違って、奈良絵本は、最初から大部分は商品として生産されたと考えられます。従ってここでは、誰が買ったか、という問題になります。 1)前期 前期において。先ず公家階級ではありません。これはハッキリ断定してよ […]

  • つくった人、描いた人たち  【反町茂雄「奈良絵本私考」4】

    1)前期(寛永以前) 少々武断的ですが、結論を先に記しますと、前期(寛永以前)においては、生産者は主として京都及び堺の扇屋、後期(寛永以後)では、生産者は主として京都の新興の書籍業者(出版・販売、及び一部分古書を兼業)だったのでしょう。 執筆したのは、前期には土佐派を学んだ画師、画扇描きの技工(職人 […]

  • 京と堺でも 【反町茂雄「奈良絵本私考」3】

    京都は8世紀末以来、当時までに700年近く文化の中心地でした。文学・美術。工芸に関するすべての文化財の、殆ど唯一と云ってもよい生産拠点であります。文字を書き絵を描く画家・工人は多く、巻物に或は冊子に装潢する経師も多い。全国の需要も、ここに向けられることは自然でしょう。 戦乱の時代においても、ここと全 […]

  • 奈良絵本のうまれたところ 【反町茂雄「奈良絵本私考」2】

    奈良絵本は文正(1466-1467)・大永(1521-1528)・天文(1532-1555)のころから、少しずつ段々に製作されたのだろうと考えますが、製作された土地は、奈良・京都・堺の三市及びその周辺であったと信じております。 江戸・大坂は、この時代には未だ興りません。鎌倉・山口は既に衰微しておりま […]

  • 奈良絵本の世界へようこそ 【反町茂雄「奈良絵本私考」1】

    アイルランド国の首都ダブリンに在る国立チェスター=ビーティー=ライブラリーの、日本の絵巻・絵入本の蒐集の内、特筆すべきものは奈良絵本であります。サー=A・C・ビーティーが大正6年に初めて日本を来訪した際に、これに注目して蒐集をはじめた理由の1つは、この人の多方面にわたるコレクションの内で、特に優秀と […]

  • 書画方面へも進出 【紙魚の昔がたり30】

    (八木) さきほどお話したように、特価本の他に美術品・書画を、現在美術倶楽部の会員としてやっておりますが、美術をやりだしたのも、つまりはデパート展で売上げを伸ばす方便でした。松坂屋にしろ他のデパートにしろ、初めは六日間の総売上げが四千万とか五千万ですんだのが、次の年には一割増し、二割増しを求められて […]